背中のカバン

平成17年10月17日(月)

 土曜日の朝だというのに、電車は混んでいて、乗客はみんな棒のように身動きできないまま吊り革につかまっていました。

 駅で停まる度にドア付近の乗客の一部がもみ合うように入れ替わり、後ろに二十代の若者が立った時から、私は背中に不快感を覚え始めました。何やら人間の体とは異なる固い物が背骨を圧迫するのです。

 窮屈な姿勢で後ろを振り返ると、原因は若者が肩からかけているカバンでした。

 わずかに身体をよじって背骨を外すと、カバンはわき腹に当たります。さらに位置をずらすと、またしても背骨に当たります。ようやく少し落ち着いたかと思うと電車が揺れて、今度はカバンの方が移動するのです。

(くそっ、非常識なやつめ!)

 私は体の向きを変えて若者をにらみつけました。

 若者は私の迷惑などには全く無関心な顔で吊り革を握っています。

「君、悪いけどカバン足元に置いてくれないかなあ」

 こんな正当な一言を、私は喉元で持て余していました。

 いつだってそうなのです。

 プラットホームであぐらをかいてパラパラを踊る女子高生を見た時も注意ができませんでした。車内で傍若無人に携帯電話をかける青年からも苦々しく遠ざかりました。通路に長々と投げ出した若者のジーンズの足を遠巻きに通り過ぎようとして、うっかりスニーカーにつまずいた時などは、

「君、足投げ出してたら迷惑だろ」

 と言う代わりに、

「あ、どうも済みません」

 謝った記憶さえあるのです。

 こうなると、カバンが身体に当たる不快感よりも、それを言えない自分の不甲斐無さの方が不愉快になります。

 勇気を出して注意をする。関係ねえだろ、おっさん…と凄まれる。関係なくないだろう、迷惑してるんだと、こちらはもう引き下がれない。うぜえんだよと殴りかかる相手から身を護ろうとして反って怪我をさせてしまった場合、

「法的にはどうなりますか?」

 と知り合いの弁護士に尋ねたことがあります。

「正当防衛の範囲は限定的ですからね、理由はともかく、少なくとも自分より相手の被害の方が大きければ、傷害罪が成立するでしょうね」

「…と言うことは、注意した相手が向かって来たら逃げるしかないということですか?」

「う~ん…まあ、その方が賢明ですかね」

「ちょっと待って下さい。それじゃこの国の法律は、日常レベルの非常識に対して見て見ぬふりを奨励しているようなものじゃないですか」

 矛先の狂った私の憤りに戸惑って、

「日本は法治国家ですからね」

 弁護士は視線を逸らせましたが、だから注意一つできないというのは言い訳だということを自分が一番よく知っています。法律など関係ない場面で、例えば、君、授業中ずっと寝ているのなら欠席扱いにするぞ…の一言が言えません。前を行く人に、くわえ煙草はやめてください・・・が言えません。喫茶店の隣の席の主婦たちに、もう少し静かに話してください・・・が言えません。

 要するに臆病なのです。

 人と刺々しい関係になるのが恐いのです。

 向きを変えたせいで、若者のカバンは電車の揺れに合わせて私の腹部を圧迫していました。腹部よりは背中に当たる方がまだましとばかり、再び向きを変えようとした時です。

「ちょっと、動かないでくれますか!迷惑ですから」

 隣の若い女性が険しい声で言いました。

「いえ、この人のカバンが体に当たって痛いものですから…」

 という言い訳すらできず、

「どうも済みません」

 私は、わき腹に当たるカバン以上に固いものを胸に抱えたまま吊り革を握りしめました。

 日本再生計画という大きな赤い文字ばかりが目立つ週刊誌の車内広告がクーラーの風に揺れていました。