老化現象

平成17年12月13日(火)

 五十を過ぎると身体が油っぽくなるのでしょうか。まぶたの脂肪が睫毛を伝い、最近眼鏡が汚れます。ハンカチで拭うのですが、油汚れは容易にはとれません。そういえば確かメガネクリーナーがあったと思いつき、机のひきだしから小振りのスプレー缶を取り出すと、レンズの両面に吹きつけました。ところがティッシュで拭いても拭いても、汚れは落ちるどころかレンズは曇りを増すのです。よく見ると、クリーナーと思ったのはヘアスプレーでした。


 仲間と温泉のホテルで一泊した朝のことです。同室の友人が洗面している間にシャワーを浴びた私は、友人と交代して洗面所を使いました。前夜したたかに飲んで寝る前に使用した歯ブラシに、傍らのチューブを絞って歯を磨きましたが、妙な味がして泡が立ちません。ん?といぶかりながらチューブを確かめると、それは友人が使った髭剃りクリームでした。 


 夕食が早かったので小腹が空きました。ふと見ると戸棚にカップラーメンがありました。早速蓋を取り、パックの具を麺の上に空け、ついでに粉スープのパックを切っておいて、ポットの熱湯を麺に注ぎました。四分間をじれながら待って液体スープを入れ、粉末ソースをを開けようと勢いよくパックを持ち上げると、台所一面に薄茶色の粉が飛び散りました。パックは湯を注ぐ前に開けてあったのです。

 トイレに入ろうとすると、電灯のスイッチが赤く点灯していました。

「ばか、つけっ放しにしやがって…」

 おれはケチじゃないが無駄は嫌いだ…とばかりスイッチを切って入ると、当然なことながら中は真っ暗でした。慌てて飛び出して再びスイッチを入れながら私は何をやってるんだろうと思いました。


 仕事柄、たくさんの人に出会って一日を過ごします。

 今日も充実していたな…と満足を感じながら、風呂に入ろうと脱いだズボンの後ろに、片仮名でワタナベと書いたクリーニングのピンクの紙片が付いていました。誰ひとり教えてくれる人はいなかったのかと思うと、充実していたはずの一日は突然変質して、にわかに人間が信じられなくなりました。


 教科書棒読みの講義は手抜きだと思いますから授業ではたくさんのレジュメを配布するのですが、次回慌てないようにと前もって印刷しておいた資料を当日再び印刷し、メモ用紙の山ができました。裏は白いからメモの欲しい学生は取りに来るように言いましたが、希望者はないまま今に至っています。


 ふらりと本屋に入りましたが、おびただしい書籍の量に圧倒されるだけで、気に入る本にはなかなか巡り会えません…と、面白そうな一冊が目に留まりました。購入し、読み終えて書棚にしまおうとすると、まったく同じ本が二冊ありました。


 手帳に「山田さん 10:00」というメモが記してありました。確かに私の筆跡ですが、まったく記憶にありません。十時に山田という人が来るのやら、私がどこかに出向くのやら解らないまま死刑の執行を待つような気分の私に、十時きっかりに山田と名乗る男性から講演日程の打ち合わせの電話がありました。


 私には朝入浴する習慣があります。いつものように風呂から上がり、食事を済ませて駅まで歩いたら、目当ての電車まで一分ありました。それだけあれば小用は足せるという予測でトイレに入った私はキツネにつままれたような気分になりました。穴がありません。パンツを後ろ前に履いていたのです。個室に飛び込んで履きなおすのは惨めで滑稽でした。目当ての電車は行ってしまいました。


 車に乗り込んで、携帯電話を忘れたことに気がつきました。家に取って返して探すのですが見当たりません。しかし必ず部屋のどこかにあるはずです。そうだ!鳴らしてみればいいんだと、ポケットをまさぐって携帯電話を探している自分に気がついた時は、愚かさに愕然としました。本棚の隅にあった携帯を手に再び車に乗り込むと、持って出たカバンを忘れていました。


 あと一分で発車する電車に間に合おうと、足もツレとばかりに駅の階段を駆け上がり、ドアが閉まる寸前に飛び乗りました。つり革につかまって肩で息をしながら動悸が治まるのを待ちましたが、車内の気配が異常です。

 見ると、目の前のドアに大きな文字で『女性専用車両』と張り紙がしてありました。女性ばかりの満員電車で身動きもできないまま、私は生まれて初めて女に変身したいと心から思いました。


 こんな失態が最近とみに増えました。

 年をとったのです。