圧倒的な知識

平成17年02月23日(水)

 久しぶりに高島屋の十何階だかにある巨大書店に足を踏み入れました。目的といって特にありません。時間ができたのでふらりと立ち寄って、興味を引く本があれば購入しようと思っていたのです。

 ところが、さて書店のフロアーに足を踏み入れたとたんに、まずはその広さに圧倒されました。おびただしい本の量です。目的がありませんから移り気に、あっちのジャンル、こっちのジャンルと移動しては、面白そうなタイトルの本を手にとって立ち読みするのですが、量が多すぎて読みたい本が決まりません。やがて、どういう心の傾斜なのでしょう。突然言いようのない不安に襲われました。歴史の本を読めば、私の知らない事実で一杯です。哲学の本を開けば、書いてある内容が理解できません。社会学の本に至っては、私が卒業した学部の領域なのに、出てくる用語が意味不明です。

「お前の知らない知識の詰まった本がこんなにたくさんあるんだぞ…」

 という悪魔のような声が四方の書架から聞こえたような気がしました。そう思って眺め直しみると、フロアーは私の知らない知識や情報で溢れ返っています。

「お前は何も知らないで生きている…」

「お前は何も知らないで生きている…」

 圧倒的な知識の海のまん中で、私は無知という一枚の木の葉でした。

 低気圧だとどうして雨が降るのでしょう。

 走っている自転車はどうして倒れないのでしょう。中近東ではどうして戦いが繰り返されるのでしょう。キリストはどんな青年だったのでしょう。悟りを開いてからの釈迦には悩みというものがなかったのでしょうか。液晶テレビはどんな仕組みで映像が映るのでしょう。磁石はどうして鉄がくっつくのでしょう。魚は本当に魚眼レンズのように見えているのでしょうか?

 半世紀以上も生きて来て、私は何も知りません。かと言って、追随を許さない、私だけの専門領域があるわけでもありません。救いようのない無知から目を逸らして、よくも人がましく世間を渡って来たものだと思ったとたんに、どうにもいたたまれなくなって、私は何も買わずに書店を飛び出しました。今さら何冊かの本を読んでみたところで、海辺の砂を一粒持ち帰る程度のことに過ぎません。とにかくその時の私は、一刻も早くこの圧倒的な知識の海から逃げ出したい心理状態だったのです。

 天を突くような高層ビルを仰ぎ見て、それを造り上げた人間の偉大さを感じるタイプと、自分の存在の矮小さにうちひしがれるタイプがありますが、どうやら私はあとのタイプに属しているようです。初めての集団が有象無象の集まりのように思えるタイプと、自分以外は立派な人ばかりに見えて気後れしてしまうタイプがありますが、やはり私はあとのタイプに属しているようです。

 目的の本を探しに出かける時以外は、巨大書店に足を踏み入れるのはよそうと思いました。謙虚は美徳ですが、自信の屋台骨まで折らしてはたまりません。もう濫読の視力も体力も残ってはいないのですから…。