否定的感情製造装置

平成18年06月02日(金)

 これまで何度も取り上げて来たテーマについて繰り返し書きます。

 感情の持つエネルギーについてです。

 私たちの心の最も重要な機能の一つは、刺激に反応して感情を生起させることでしょう。

 かつて学生たちに、思い当たる感情をできるだけたくさん上げさせたことがありました。

 嬉しい、悲しい、腹立たしい、悔しい、楽しい、恥ずかしい、待ちどおしい、切ない、愛しい、妬ましい、憎い、淋しい、虚しい、晴れがましい、おかしい、面倒くさい、鬱陶しい、照れくさい、可愛い、恐い、怖ろしい、刺々しい、苦しい、いら立たしい、誇らしい…などに始まって、退屈、充実、焦燥、憤怒、愉快、不愉快、寂寥、愛惜、不安、安心、畏怖、不思議、恐縮感、幸福感、不遇感等々の漢字熟語まで含めると、まだまだ無数の感情が存在します。

 考えてみれば、まるで山の天気のように刻々と変化する心の中の感情を味わうことが、人生という旅そのものの意味のようにさえ思えます。感情はエネルギーを持っていますから、生起した感情は、外に向かっては行動になり、内にこもっては心身を蝕みます。この点において、神経系統を持つ生き物は全て同様の法則に支配されているようで、単純な生き物になればなるほど、感情レベルではなく、感覚レベルに近づきますから、例えばミミズや昆虫や魚のたぐいになれば、刺激-→反応という原始的な行動になりますが、犬や猫になるともう少し感情レベルに近づいて、怒りのエネルギーを、吠えるという行動で放出したり、喜びのエネルギーを、すり寄るという行動で表現したりするのです。

 もちろん人間は、高度に分化した感情を有するだけでなく、そこから供給されるエネルギーの放出回路も、個人の学習経験に基づいて複雑ですから、感情はそのままの形では表現されない場合が多くなります。もはや嬉しいからといって手放しで喜べば差しさわり、悲しいからといってなりふり構わず泣けば沽券にかかわり、腹が立つからといって怒鳴り散らせば孤立を覚悟しなければならず、容易に出口の見つからない回路を持て余す「大人」たちは、止むを得ず内に向かって心身を蝕むエネルギーの存在に苦しんでいるからこそ、快か不快かによって力いっぱい笑ったり泣いたりする乳幼児の行動を称して「天使」のようだと言うのです。

 さて、私たちの心の最も重要な機能の一つは、刺激に反応して感情を生起させることだと冒頭で書きました。生起した感情は、外に向かっては行動になり、内にこもっては心身を蝕むとも書きました。つまり、生起した感情が不安に満ちた否定的なものであれば、外に向かっては攻撃的になり、内に向かっては自罰的になるのは当然と言わなくてはなりません。外に向かって攻撃的になった典型が、親子の間で繰り返される昨今の殺伐とした殺傷事件であり、内に向かって自罰的になった究極が、引きこもりや自殺であると考えると、現代の日本人の心に蔓延する感情の憂うべき実態が明らかになるように思います。

 問題は、不安で否定的な感情を生起させる「刺激」の存在です。国民の心に不安を生じせしめる刺激を、国家規模で供給し続ける巨大な装置が存在するのです。川に流れ込んだ有害物質に対して抵抗力のない魚から先に浮くように、現代社会に内在する毒に対して抵抗力のない事情を抱えた個人が事件や犯罪を引き起こすと、それを報道することをなりわいとする機関は、得たりとばかり紙面を埋め、電波に乗せます。

「この国はいったいどうなってしまったのでしょう!」

 という怒りのコメントと共に、親殺し、子殺し、一家心中、保険金殺人、警察官の不祥事、教員のセクハラ、公務員の無責任、政治の腐敗などを来る日も来る日も報じられる国民の心には、それが刺激となって、新たに否定的な感情が生じます。感情はエネルギーですから、それは次の事件犯罪となって放出され、それを報道することをなりわいとする機関は、またしても得たりとばかり紙面を埋め、電波に乗せます。なりわいである以上、存在価値を失わないためには、珊瑚礁に自ら落書きをしてでも、世の腐敗を暴いて見せなければなりません。こうして否定的感情の巨大製造装置は、自由と正義の名の下に、もはや一大権力の様相を呈して、この国の未来を常に嘆き続けているのです。

 挨拶運動を展開する一方で、見知らぬ人に声をかけられたら大声で叫ぶ訓練を行うことの矛盾に苦慮したある小学校では、PTAに設けた挨拶委員の胸によく目立つ名札をぶらさげました。子どもたちは町で人と出会った時は、名札を確認して元気よく挨拶をし、名札のない人から挨拶された場合は警戒することを教えられます。こんな国に、子どもを送り出したいと思いますか?

 またしても出生率が下がりました。

 児童手当の増額や、不妊症の治療費の補助や、女性が働きながら子育てできる環境整備などが急がれていますが、私は国民の心にことさら否定的な感情ばかりを生起せしめる巨大装置の在り様に一考を加えない限り、賢明な国民たちは次世代を作り出すことにためらいを持ち続けるような気がしてなりません。