平成18年06月13日(火)

 不思議な話しを思い出しました。

 中学何年生の時のことかは忘れてしまいましたが、突然私は人間の顔を彫刻したくなったのです。

 一人っ子ですから、一緒に遊ぶ兄弟とてなく、小さい頃から、近所の指物屋で手に入れる木っ端を加工して、船を作ったり、飛行機をこしらえたり、トンカチとノコギリを使った工作の大好きな子どもではありましたが、彫刻刀で人間の顔を彫りたいなどとは考えたこともありません。それが、何かに取り憑かれたみたいに、彫りたい顔が浮かんで消えないのです。私が彫りたいというのではなく、まるで顔の方がこの世に生まれたがっているような感じなのです。

 指物屋の仕事場から一本の角柱を拾って来ました。

 釜戸の前で、一心不乱に彫刻刀を振るいました。

 やがて角柱の端に人間の顔が現れましたが、それは想像とは似ても似つかぬ醜い男の顔でした。

 夢から覚めるように我に返った私は、どういう訳か、その顔を二度と見たくなくて、視界から遠ざけたまま忘れてしまいましたが、それからしばらくして、わが家に悪いことが起き始めたのです。

 珍しく祖母が風邪を引きました。

 快復しないうちに祖父が自転車で転倒して、頭に何針か縫う大怪我をしました。

 母の指に棘が刺さり、刺さった部位が化膿しました。

 そんな事が相次いで起きて、どれもぐずぐずと快復しないのです。

 祖父の始めた零細な印刷業に、夫と離別した母と親戚の叔父さんが従業員として加わって細々と生計を立てていた我が家は、一家の大黒柱が怪我をし、指の痛い母は思うように活字を拾えず、家事全般は、祖母が寝ているために、にわかに滞りました。

 家に一人でも病人がいると気分が沈むものですが、その時は、私の周囲の大人たちの全てが体に不調を来たしたのですから、わが家は絶望的な雰囲気に支配されました。ため息ばかりで、誰も満足に口を利きません。

(何かの祟りではないか…)

 などと考える傾向を全く持たない家族でしたが、私は背筋が寒くなりました。

 私は例の顔の彫刻を探しました。

 顔は書棚の片隅で天井の一点を睨んでいました。

 私は顔を持って外へ出ました。

 激しい雨が降っていました。

 増水した川に、私は顔を投げ捨てました。

 顔は揺れながらあっという間に流れ去りました。

 それから家族は嘘のように体調を快復したのです。

 今日まで私はその事実を家族に話したことはありません。何を馬鹿な…と笑われるのも心外ですし、お前のせいだったのか…と思われるのも困ります。

 しかし、たった一つ後悔していることがあります。

 それはあの顔を焼かなかったことです。

 時折、どこかに流れ着いた顔を子どもが拾って、無邪気に家に持ち帰る恐ろしい夢を見るのです。