ジベタリアン養成者

平成18年06月21日(水)

 名古屋駅のコンコースに、修学旅行の一群がいました。

 就学旅行…。甘酸っぱい匂いのする言葉です。「修学旅行」を辞書で引くと、児童・生徒らに日常経験しない土地の自然・文化などを見聞学習させるために教職員が引率して行う旅行で、日本独特の学校行事と説明してあります。

 時代が進み、海外旅行が珍しくなくなった現代の子供たちは、一体どこへ見聞学習に出かけるのか解りませんが、私たちの時代は、汽車に乗るだけで十分に見聞学習でした。小学生の時の旅行先は伊勢志摩で、中学生の時は東京熱海でした。伊勢では、日の出を見るための早起きにわずかに失敗し、慌てて海辺の堤防に出ると、前方からやって来る仲間の手で何やら紐状のものがくねくねと動いています。それが蛇だと解った時の驚きと、実は竹製のおもちゃだと解った時の悔しさが忘れられません。同じ物がどうしても欲しくなって、あの日みやげ物屋でなけなしの小遣いをはたいて購入した竹製の蛇のおもちゃは、私が大人になっても我が家に捨てられずにありました。

 熱海では狭い坂道の町を案内してくれた素敵なバスガイドに複数の男子が憧れました。平野智恵子…。この年齢になっても、あの時のガイドの名前を覚えています。と言うことは、私は死ぬまでこの名前を忘れることはないのでしょう。

 就学旅行かあ…。と見るうちに、ハタと気が付いたことがありました。コンコースの修学旅行の一行は、床に直接腰を下ろし、引率する教員たちだけが、立って全体を統率していました。そういえば、社会見学に出かける黄色い帽子の小学生たちが、プラットホームに体操座りでしゃがんで教員の説明を聞いている姿も見たことがありました。教員の側からすれば、まるで足元に群がる鳩のように生徒たちを見下ろせるのですから、集団を把握するのには誠に効果的な方法と言わねばなりませんが、私たちの時代には、人が土足で歩く所は汚い場所であるという常識があって、体育館以外の場所で直接床に腰を下ろすことはありませんでした。どうしても地面に直接座らなければならない体育の授業の時だけは、汚れてもいい体操服に着替えさせられました。あの頃に習得した逆上がりも前転も懸垂も、今となっては何一つできませんが、体操服を着た時以外は地面に直接座らないという行動様式だけはしっかりと身についています。

 時代は移りました。更衣室がないという理由で、子供たちは体操服であるジャージやブルマの上に制服を着て行くことが義務づけられました。そうなればもう、状況に応じて「着替える」というけじめはありません。教員が率先して学生を地べたに座らせて平然としています。駅のトイレは総じて清潔なところではありませんが、そこを踏んだ靴で、不特定多数の人が歩いた床に直接座ることの不潔さと、不潔なことを公衆の面前で行うことの見苦しさを教えるよりも、羊飼いのように生徒を管理する方を選択する教育現場の安易さが、コンビニや電車の床にまで直接座り込むジベタリアンを生んだのではないかと思い至った時、謎が解けたような気がしました。ジベタリアンは学校教育の中で養成されるのです。だから、盛んに地べたに座っていた若者も、社会人になると次第になりを潜めるのです。

「それじゃあ行くぞ」

 という教員の声で、コンコースの学生たちが一斉に立ち上がりました。背の高い学生たちが立ち上がると、教員の姿はまるで林の中のお地蔵さまのように見えなくなりました。そしてその時私の心には、学生を座らせたくなる教員の衝動も少しは理解できたような気がしていたのです。