地域という幻想

平成18年08月24日(木)

「地域」という言葉が盛んに使われるようになったのは一体いつの頃からでしょう。

「地域福祉」「地域住民」「地域のニーズ」「手をつなぐ地域」「支え合う地域」「地域共同体」「地域密着型サービス」「地域包括支援センター」…。

 それにしても、「地域」という言葉を聞くと、何となく自分が柔らかい保護膜で包まれているような安心感を抱いてしまうから不思議です。

「あれ、きょうは焼肉ですか…」

 と声をかけられて、

「娘が久しぶりに孫連れて遊びに来てるもんだから、ちょっと奮発したのよ」

 などと笑顔で支払いを済ます馴染みの精肉店がなくてはいけません。

「お?待ってるの、お前だけ?」

「俺だけったってほら、ほとんど毛が無いんだからすぐに済むよ。さあ、座れ座れ」

 と長椅子に並ぶが早いか、

「聞いた?薬屋の若夫婦、いよいよ別れるんだってよ、わかんないもんだよなあ」

 すぐに世間話が始まる行きつけの理髪店がなくてはいけません。

「しばらくは安静にと言ったのに、この体で畑に行くなんて無茶ですよ」

「とめたんですけどね、しばらく雨が降らないから野菜が心配だって…」

「気持は解りますが、こじれると野菜より治療費の方が高くつきますよ、ね?お婆ちゃん」

 と注射一本打って行くかかりつけの開業医がいなくてはいけません。

 月二回、集会場に集まって行われるお祭りの練習、終了後に缶ジュースが一本ずつ配られる町内一斉の溝掃除、味噌汁の味付けを巡って必ず小さなもめ事が発生する葬式のお取り持ち…。ことほどさように、煩わしくも濃密なお付き合いで「地域」というものはできあがっていたのですが、残念ながら私たちの周囲からこのような人間関係はどんどん姿を消しています。と言うよりも、この種の煩わしさを嫌って、我々は積極的に住民同士のお付き合いを放棄して来たのではないでしょうか。

 安くて品揃えの多い大型スーパーの進出を重宝がっているうちに、馴染みの商店は姿を消し、客ははるばる遠方まで出かけ、アルバイトの店員の心のこもらない挨拶で送り出されるようになりました。都会に出て行ったきり、帰る気配のない息子を諦めて、客の白髪頭に鋏を入れる理髪店のあるじの背中は、また去年より小さくなったような気がします。若先生は、病状がよほど重篤か常時の寝たきりでない限り往診をしてくれなくなって、何とか通院はするものの、混雑する診療所の待合室は長居もおしゃべりもはばかられ、患者は一様に無口です。神輿を担ぐ若者の不足を理由にお祭りは中止になり、溝掃除は役場に任せ、葬儀は仕出しを取って、ぴかぴかのセレモニーホールで行われるようになりました。実はその頃から「地域」の重要性が行政によって声高に叫ばれ始めたのです。しかし、行政が今頃になって躍起になる「地域」の再生あるいは再構築はどうしたら可能でしょうか?

 今回は、そこに住む一人暮らしの高齢者の日記を紹介するという形式で、地域の再構築の取り組みについて考えてみたいと思います。

 ○月×日

 商店街の空き店舗を利用して高齢者のためのバイキング形式の食堂ができたという広報を見て出かけてみました。NPOを立ち上げた近所の主婦たちが行政の補助を受けて運営しているようで、棚には高齢者が好みそうなお惣菜が色々と並んでいて、持ち帰りさえしなければ、何を食べても一食五百円と手頃な値段なので、一人暮らしの高齢者や夫婦者などで食堂は賑わっていました。

 中には本当に久しぶりに出会った懐かしい顔もあって、声をかけると、

「こうして好きなものを選んで食べる食事は、お仕着せの宅配給食よりずっとうまい。食堂までの十五分ほどの距離もちょうどいい運動になる。一人で食べる食事の味気なさが改めて分かった」

 と喜んでいました。

 ○月×日

 頻繁に食堂を利用するうちに、気の合う仲間が五、六人できると、今度は仲間と会うのを楽しみにして食堂を利用するようになりました。おしゃべりしながら食べる食事は楽しくて、すっかりうちとけた頃、一人が、

「せっかく仲間ができたのだから、何か趣味の活動をしませんか」

 と言い出しました。

 一人暮らしの高齢者は、例えば風邪をこじらせても、ぎっくり腰になっても、たちまち日常に困ってしまいますが、近所に気心の知れた仲間がいれば助け合えます。ましてや同じ趣味のグループに所属して活動するメンバーであればなおさらです。

「それに、カラオケでも囲碁でも早朝の散歩の会でも、五人以上が集まって継続的に活動すると、役場から補助があるのです」

 どうですか?と提案されて、みんな一も二もなく賛成しました。近所に頼れる人とてなくて、心細い思いをしていたのは私だけではなかったようです。

 カラオケをしようということになりました。役場からは、テレビにつなぐと何百曲と映像つきのカラオケが流れるマイクを支給されました。指導の先生が派遣されましたから、みんな張り切りました。会場は公民館ではなくて、それぞれの家を持ち回るることにしました。困った時に助け合うためには、お互いの家の敷居は低くなくてはなりません。いざという時には、この仲間たちが頼りなのだという気持で結ばれていますから、仲たがいなどはありません。秋の文化祭で発表するという目標もできて、私は都はるみの「北の宿から」の練習を始めたのでした。

 ○月×日

 文化祭が終わると、想い出話しに花を咲かせながらどんどん交流が深まって冬になりました。明日はわが家が会場だから掃除でもしましょうと、ストーブの上のお湯を持った時、足がよろけました。下半身に熱湯を浴びた私は、慌てて救急車を呼びましたが、救急車を待っている間に、仲間の一人に電話をかけることも忘れませんでした。明日のカラオケ教室の会場はひとつ飛んでもらわなくてはなりません。

 ○月×日

 入院した私は、仲間の有り難さをしみじみと味わうことになりました。病院は、看護はしてくれますが、洗濯やちょっとした買物は患者がしなければなりません。それを入れ替わり立ち変わりカラオケ仲間たちがやって来て助けてくれたのです。退院してからもケロイドがひきつって買物も調理もままなりませんでしたが、これも仲間たちがしてくれました。 持ち回りのカラオケのおかげで、他人の家を訪ねるのに抵抗がなかったのと、何よりも、困った時は互いに助け合うのだという仲間たちの意識が強固だったのです。

 ○月×日

 すっかり元気になり、カラオケに復帰した私を囲んで、仲間たちは次の二つを申し合わせました。

 一、 お互い一人暮らし同士、困ったことは遠慮しないで何でも頼もう。

 二、 迷惑をかけることも、かけられることも、仲間がいる証拠と受け止めて喜ぼう。

 近所の主婦たちが始めた食堂が縁で、私たちには一緒に生活を楽しみ助け合う仲間ができました。つまり、もうばらばらになったと思っていた「地域」がよみがえったのです。最初に趣味の会を作ろうと提案した人は終始私たちをリードして一人暮らしの高齢者にとっての仲間の大切さを教えてくれましたが、それは社会福祉協議会が初めからその目的で養成した「地域再生リーダー」でした。

 こんなふうにしてこの町では、たくさんのグループが活動していますが、人と群れるのを好まない高齢者たちもいます。足が衰えた場合の移動の問題もあります。食堂に行きたくても五百円を支出する余裕のない高齢者もいます。物忘れが進んで火が心配になったりすれば、ことは深刻です。あらゆる立場を想定して地域の高齢者全員を網羅する安心の仕組みを作ることは至難のわざですが、今回私は、仲間がいることの心強さを経験してみてしみじみと思います。「地域」を取り戻すのは、最終的には仕組みの問題ではなくて、個人の生き方の問題なのです。


 どうですか?

 日記の紹介はここまでですが、「地域」というものの今日的な在り方について、様々なことを気付かせてくれるとは思いませんか?

 考えてみれば、最期まで人に迷惑をかけないで生きていられる人間などはいません。ということは、人に迷惑をかけるのが上手な人が、晩年の暮らし上手ということになるのですが、私たちは小さい頃から人に迷惑をかけないことばかり叩き込まれて大人になりました。日記の申し合わせにあったように、互いに迷惑をかけ合う関係を喜ぶことが「地域」の本質であるとしたら、現代人にとって、もはや地域は幻想です。本気で再生するためには、家庭で、学校で、職場で、人に迷惑をかけたりかけられたりすることの心地よさを学習させる営みが必要でしょう。日記の言葉を借りれば、地域の在り方は、結局システムの問題ではなくて、個人の生き方の問題なのですから。