混沌

平成18年09月20日(水)

 いつもは空席の目立つ大須演芸場に、テレビでお馴染みの歌丸や小遊三が出演し、初日は立ち見が出たという記事を読みました。

 恰好の退屈しのぎとばかり、自転車を蹴って出かけて行くと、連休二日目の中心街はペダルを漕げなくなるほどの人出でした。

 目の前を、濃いバラ色の法衣をまとったミャンマーの小柄な僧侶が、今風の日本の若者に取り囲まれて歩いていました。物見高く自転車を引いて付いて行くと、僧侶は、『アウンサン・スーチーさんを初めとする政治犯を解放せよ』という横断幕を掛け渡した広場の集団に合流しました。通行人は、横断幕に結集する人々の群れに一旦は好奇の視線を向けはするものの、立ち止まることなく通り過ぎて行きます。広場の縁石には、最近では珍しいガングロの一団がスカートの両足を開いて腰を下ろし、煙草をふかしていました。初めて間近に見るガングロ族のメイクは、化粧ではなくて仮装でした。輪郭を引いた茶色い唇の間からタバコの煙が勢いよく吐き出され、その行方を黒い縁取りの両眼が追いかけていました。

 目の前の信号が赤に変わり、横断をし損ねた若い男女が横断歩道の端で抱き合ってキスをし始めました。その様子を、ベビーカーに乗せられた赤ん坊が無邪気に見つめていました。赤ン坊の母親は、ジーンズとTシャツの間から大胆に腹部を覗かせて、照りつける陽射しから顔を守るべく手をかざしていました。

 白川公園に差し掛かると、大音量のフォークソングが聞こえて来ました。興味を覚えて自転車を乗り入れたグランドには、アンプと拡声機を備え付けた白いワゴンが停まり、ギターを抱えた五十代の男性が二人、スタンドマイクに向かって叩きつけるように歌っていました。

「♪みんな知ってるはずさ、戦争の愚かさを、戦争の惨めさを♪」

 まるで七十年代の反戦歌のようなオリジナルソングを歌う二人の周囲には、一向に聴衆の集まる気配はなく、私は何だか見ている自分の方が惨めになって、逃げるように公園を後にしました。

 報道の通り、演芸場は立ち見の場所にも困るほどの大盛況でした。人いきれが熱気になって会場に充満していました。爆笑のうちに前半の演目が終って幕が下りると、静かになった私の耳に白川公園の反戦歌がよみがえりました。その歌に政治犯開放の横断幕が重なりました。やがて、ミャンマーの僧侶が、ガングロの一団が、抱き合う男女が、それを見つめる赤ン坊が、日焼けを嫌う母親の姿が浮かんでは消えたかと思うと緞帳が上がり、出囃子に送り出されて後半の演者が現れました。

 大きな拍手の中で顔を上げた演者は、巧みな話術で聴衆を江戸の長屋の世界へ誘い、演芸場は再び爆笑の渦に包まれたのでした。