ポンポンキャンディー

平成18年10月25日(水)

 直腸にできた悪性の腫瘍を全身麻酔下で摘出したのは、四十二歳の春でした。二度と大きな病気はしないぞと思っていた翌年、深夜になると決まって始まる腹部の激痛にたまりかねて受診したところ、またしても全身麻酔下で、今度は胆嚢を摘出しなければなりませんでした。そして今は花粉症が高じて喘息に取り付かれ、五十三歳の暮れには自分で救急車を呼んで病院に運ばれました。こうして原稿を書きながらも、私の胸の深部では、かすかに喘鳴が聞こえます。

 四十二歳…。考えてみると、男の厄年を境に私は病と縁が切れたことがありません。それまでは、病気など一度もしたことがなかったのに…と思ったとたん、鮮やかに旧い記憶が蘇りました。まだ小学校に上がる前に、実は大きな病気をしているのです。

 ポンポンキャンデーというアイスキャンデーが流行りました。生ゴムに包まれた球の形の氷菓子は、先端のゴムのふくらみを噛み切って強く吸うと、冷たくて甘い液体が口中に流れ出ました。甘いものに飢えていた当時の子供たちは、五円だか十円だか、なけなしのお小遣いを駄菓子屋のお婆さんに支払って、冷凍庫からキャンデーを取り出す瞬間が一日で最も幸せな瞬間だったような気がしますが、不衛生な粗悪品が出回ったのでしょう。恐い病気になるのでポンポンキャンデーだけは食べてはいけないという学校長の禁止令を無視して食べて、私は激しい下痢に襲われたのでした。

 人間の脳には、忌まわしい記憶は消去する機能が備わっているのでしょうか。症状に苦しんだ記憶は皆無ですが、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」というお題目と共に、枕元で打ち鳴らされる団扇太鼓のけたたましい音で目を覚ました記憶は、はっきりと残っています。

「哲雄、よかったなあ。熱が引いたぞ」

「お隣のおばさんが一晩中祈ってくれたんやぞ」

 私の顔を覗き込んで涙ぐむ母と祖父と祖母と、団扇太鼓を手にしたお隣のおばさんの背後には、昇ったばかりの朝陽を浴びた障子が真っ白に輝いていました。

 これが私にとって人生最初の大病の記憶ですが、今思えば不思議です。法華経の女性信者が隣家から駆けつけて一晩中祈り続けなければならないほどの病に侵されながら、私は自宅にいたのです。今だったら確実に点滴につながれて病院のベッドにいることでしょう。

 調べてみると、昭和十三年に発足した国民健康保険は、任意設立の組合方式でのスタートでした。昭和二十三年には市町村公営に改められはしますが、国民皆保険政策によって全国普及が達成される昭和三十六年までには、さらに十三年の歳月を要しました。つまり、昭和二十五年生まれの私にとって、人生最初の大病は、この国の医療事情が保険という国民連帯の仕組みによって劇的に改善される以前の、まだまだ貧しい時代の出来事だったのです。そのために命を落とした子供たちがたくさんいることを思えば、軽々に懐かしむつもりはありません。ありませんが、一方で、枕元で打ち鳴らされた団扇太鼓の音が、私という命を彩る鮮やかな思い出になっていることも否定できません。死ねば医療ミスではないかと訴訟に至り、命が金銭に換算されて損害賠償の対象となる現代より、貧しい医療事情の中で、祈りの対象となっていた命の方が、何だか厳かな存在であったような気がするのもまた偽らざる印象なのです。