紙芝居

平成18年10月26日(木)

 テレビのない時代のことを思い出してみました。夜はいったい何をして過ごしていたのでしょう。

 まずは家族で「取り将棋」というゲームをしたことを覚えています。将棋の駒の入った箱を勢いよくこたつ板の上に伏せて、そっと箱を取り除くと、駒の山ができます。参加者たちは、順番に人差し指で将棋の駒をスライドさせ、音をさせないで首尾よく手元まで運び終えた数を競うという単純なルールでしたが、

「あ!今、音がした!」

「してない、してない、しなかったよね?」

「いや、カチッと小さな音が聞こえたぞ」

 思えば、メンバーの主観的な多数決を大らかに信頼することの上に成立したゲームでした。だから、うっかり立てたかすかな音を見逃してもらって味わう勝利の瞬間には、嬉しさと同じ量の卑屈さが伴って、自分が庇護される子供の立場であることを思い知らされる瞬間でもありました。

 すごろく、福笑い、野球盤、ババ抜き、七並べ、坊主めくり…。ほんの束の間、内職を忘れて楽しむ家族たちを、裸電球の黄色い光が照らしていました。電球は乳白色のガラスの傘の下で熱を放っていました。

 昼間は色々な物売りがやって来ました。

 両端にたらいの下がった天秤棒を担いで移動する金魚売りは、腰でバランスを取りながら、決して水面を揺らしませんでした。

 左右に振り分けた木製の棚に、おびただしい数の風鈴をぶら下げて担い歩く風鈴売りが、風を見計らって往来に棚を下ろすと、色とりどりの風鈴たちがチロチロと一斉に風に鳴って、道行く人々の足を止めました。

 砂糖を混ぜて溶いたうどん粉を、鉄板に丸く延ばして焼いたものに、希望の漫画を食紅で手際よく描いてくれる食べ物は、今も名前を知りませんが、鯛焼きや削り飴と並んで、屋台で売りに来るものの代表でした。

 ドンドン!と太鼓が鳴ると、いつもの場所に紙芝居が来ていました。自転車の荷台にしつらえられた木枠には、黄金バットや鞍馬天狗の表紙がはまり、集まった子供たちは、まずおじさんから「ねり飴」を買わなくてはなりません。飴を持っている者だけが紙芝居を見る権利を与えられるのですが、中には貧しくて、飴の買えない子供がいました。それを見咎めて排除したのは、決しておじさんではなかったような気がします。

「あ!お前、ねり飴持ってないやろ」

「飴を買わずに見たらいかんのやぞ」

 すごすごと帰っていく友達の後ろ姿を、ある種の心の痛みを伴って思い出します。しかし可哀想だと思う気持ちは、紙芝居が始まるとたちまち忘れてしまって、日焼けしたおじさんが読む活劇の世界に没頭しました。やがて太鼓が遠ざかると、いつの間にか飴を買えなかった友達も加わって、何事もなかったように今度は缶蹴りに夢中になるのでした。

 今の子供たちに比べると、昔の子供たちは、気を取り直すことも格段に上手かったようですね。