職業病

平成18年12月18日(月)

 講演依頼が増えると毛色の変わった会場も経験しますが、山の中腹にある弘法堂の広場にテントを張って、パイプ椅子の善男善女に話をした時は、どんな深刻な話題も、吹き渡る風に乗ってぱあっと大空に拡散してしまう、ある種の爽やかな無力感を感じました。

 浄土真宗の寺の本堂に集まった檀家の人々に、阿弥陀様を背に天蓋の下で話をした時は、足のしびれと闘う聴衆の最前列で背筋を伸ばす住職たちの厳しい表情が印象的でした。

 学校の体育館が会場の場合、講演の山場で無情なチャイムが鳴って、せっかく作り上げた雰囲気が台無しになる可能性は常に覚悟しているのですが、傍らの松の木の枝に子どもがよじ登ったために、聴衆の関心が一斉に窓の外に向いてしまった時は、目の前で展開される現実の迫力には絶対に太刀打ちできない言葉の世界の虚しさを痛感して、少なからずくじけてしまったものでした。

 中でも忘れられないのは、セレモニーホールでの講演でした。

 車を運転しながら地図をたよりに会場を探していると、そろそろ右折だな…と思った曲がり角辺りから、黒い矢印入りの葬儀会場の案内板が点々と目に入り、渡辺哲雄の文字が読み取れます。よく見ると、『渡辺哲雄氏講演会場』と書かれているのですが、走る車窓からは最後まで判読できないため、知らない人が見たら、へえ~、渡辺哲雄って死んだんだ…と思うに違いありません。さらに会場の正面玄関にも『渡辺哲雄氏講演会場』と黒々と書かれた巨大なプラスティックのパネルがそびえ立ち、根本には美しい花が飾られていて、これもそそっかしい人が早合点すれば、『渡辺哲雄殿告別式会場』と読んでしまうことでしょう。

 駐車場に車を入れた私を認めた主催者の女性職員が、早速駆け寄って敬意を表して下さいましたが、全身が黒ずくめです。そして、うやうやしく腰を折ると、

「講師の、渡辺哲雄様で、ございますね。お待ち申し上げて、おりました。どうぞ、控え室の方へ、ご案内、申し上げます」

 その言い方が葬儀なのです。

 控え室にはガラスケースがあって、値札の付いた数珠や鈴や骨壷が陳列してありました。

 やがて案内されたホールは、通常なら告別式が執り行われる会場で、その日は友引であるために、実は翌日の葬儀のご遺体が二階に安置されているというのです。

 人間は環境に支配されるものなのですね。ホールに参集した聴衆は神妙で、しわぶき一つ許さないような静寂を崩しませんから、新しく会場に入って来る参加者もしずしずと手刀を切って席に着きます。

 定刻になりました。

 先ほど控え室にご案内して下さった職員がマイクを持って深々と一礼し、

「大変、長らく、お待たせ、致しました。ァそれでは、ただいまより、渡辺哲雄さまの、ご講演をたまわりたいと、ァ存じます」

 その言い方が葬儀なのです。

 この雰囲気に飲み込まれてはたまりません。

 そこで壇上に立った私は、これまた思いきり声を沈め、

「本日は、お忙しいところをご参集くださいまして、まことに、ありがとう、存じます。一生懸命お話し致しますので、面白いところが、ございましたら、どうか親戚の方にこだわらず、気が付いた方からお笑いくださいますよう、お願い申し上げます」

 と切り出したところ、これが見事に緊張を破り、それからの一時間半、会場はかつてないほどの興奮の渦に包まれました。

 講演は、すぐにいつものテンポを取り戻して、成功裡に終了しました。

 拍手が湧き上がりました。しかし、

「当ホールに、このような笑いと、拍手が巻き起こったのは、開館以来、初めてのことでございます」

 主催者の謝辞を述べる、くだんの女性の声は、再び葬儀のものだったのです。