タブー

平成18年03月05日(日)

 私たち…と一般化していいかどうか判りませんが、どうも我々の心の中には、それに触れてはいけない話題、つまり、タブーが存在しているような気がします。

 昨今垣根はだいぶ低くなりましたが、かつて憲法は是非を論ずる以前の存在でした。特に自衛隊の違憲性については話題にすることすら禁忌の感がありました。九条の話題ではなくても、先の戦争の責任論については今でも気をつけて言葉を選ばなくてはなりません。侵略戦争だと言っても防衛戦争だと位置づけても異論が牙を剥いて襲いかかります。

 天皇についても同様です。その歴史的経緯や文化的意義を論ずることはあっても、今上陛下を否定的に云々することは少なくとも日の当たる場所では憚る空気があります。現に昭和天皇崩御の時は、マスコミを筆頭に、国中が粛々と喪に服しました。強制された訳ではないのに歓楽街が営業を自粛する様子はタブーそのものでした。

 宗教についても発言には神経を使います。オウムのように社会的評価について一定の合意が済んでいるものは別にして、既存の宗教の教義や活動について論評する時は、細心の注意を払っても激しい反発を受ける覚悟が必要です。

 中でも神社は特別な存在で、一般的な意味で「神」という存在を議論の俎上に上げるのは一向に構いませんが、実際に住んでいる地域で継承されている「神事」について意見を差し挟むのは勇気が必要です。まともな議論以前の段階で不敬の謗りを受けかねません。

 同和問題を論ずる時にも緊張が伴います。不用意な発言や誤解を招く発言は論者の社会的生命を奪います。ハンセン病の話題も、障害者の権利に関する問題も、男女差別の問題も、ひょっとすると北朝鮮の拉致問題も、議論に当たっては慎重を期さねばなりません。

 タブーについて考えています。

 フランクに話し合おうとしても、心の中に厄介な垣根の存在を意識する対象をこうして拾い上げて見ると共通点があります。憲法、戦争、天皇、宗教、同和、ハンセン病、障害者、男女差別、拉致…。つまり、これらの話題はどれもくっきりと意見の分かれる問題であったり、背後がイデオロギッシュだったり、歴史的に大変な被害者が存在したり、社会的に特定の価値観が定着していたりするのです。

 大いなる「和」の国の民である我々は、周囲との対立を極度に恐れます。野良着の上に民主主義の上着を羽織っただけの農耕民族の自我は、対立を、恨みにしないで乗り越える術を知りません。だからホームページの掲示板で、聴覚障害者のいない会場での手話通訳や要約筆記の必要性について問題提起したとたんに、勇気ある数人の意見が深まることもなく、ピタッと書き込みが途絶えてしまったのです。このままでは掲示板が凍りつくと憂慮して一連の書き込みを削除する時、ある種の怖ろしさが背中を走りました。私はタブーに触れたのです。タブーは激しい反発や報復ではなく、静かな無視と敬遠で、それに触れた者を孤立させます。タブーに触れるような無謀な人間であるという事実に対して、人は無意識に距離をとって、自分がそこに巻き込まれるのを避けようとするのでしょう。

 しかし…と思います。

 異論の存在を許さない空気がこの国を支配した時代には巨大な不幸が忍び寄っていました。国民がなだれのように崖っぷちを目指してひた走った時代には、敵国語を口にする自由さえ許されませんでした。同じ間違いから免れるためには、繰り返しますが、くっきりと意見の分かれる問題であったり、背後がイデオロギッシュだったり、歴史的に大変な被害者が存在したり、社会的に特定の価値観が定着していたりする話題こそ、心を開いて話し合えるしなやかな精神を鍛えなければなりません。迷信、伝承のたぐい以外の社会事象についてタブーの多い民族は、思考において風通しが悪いのです。そういう民族は、国家が一定のムードを作り上げた時、そこから自由になる方法を持ちません。

 …などと言いながら、手話関連の書き込みを削除した私の精神には、理由のない事柄を聖域に閉じ込めて触れないようにするためのタブーの鳥居が高々と立ちはだかっているのです。