鯉の餌

平成18年04月30日(日)

 ゴールデンウィークだから,浮かれた人々はどこか気の利いた場所へ出かけてしまったのでしょう。町の公園に若い人の姿はなく、孫を連れたお年より夫婦ばかりを見かけましたが、中に、お婆さんと息子と孫の三人連れなどと出会うと、見る側の想像のスイッチが入り、

(ははん、嫁が出て行ったんだな。それで孫を遊ばせようと、婆さんも一緒に公園にやって来た。そう言えばキツそうな顔をした婆さんだ。息子は人が良さそうで、こりゃあ原因は、婆さんが嫁に辛く当たるのを、一向に庇おうとしない息子に嫁が腹を立て…)

 と、そんな筋書きが心に浮かんだとたんに、前を行く三人の後ろ姿にふっと薄幸な影が射すのですが、

(待てよ。そういう事情なら嫁は子供を連れて出るだろう。見れば子供はようやく三歳だ…ってことは、そうか、出産だ!嫁は次の子供を生むんだな?ということは、あの子はお姉ちゃんになるって訳か。弟かな?妹かな?)

 と、筋書きが変わるだけで、手をつなぐ三人の足取りまでが、ひどく軽やかに見えて来るから不思議です。

 池のほとりの別々の場所に、どちらも三歳くらいの男の子と女の子が、鯉の餌の入った紙コップを手に、しゃがんでいました。水面には色とりどりの鯉が口を開けて群れていました。ほら、餌をあげなさいと傍らの爺さん婆さんに促されて、男の子は一粒ずつ投げるのに対して、女の子は鷲づかみにした餌を勢いよく撒きました。わずか三歳で、こんなところにくっきりと性格の違いが現れているのです。こういう性格は案外その人間の生涯を貫いて、あるいは倹約で財を成したかと思うと慎重に過ぎてチャンスを逃がし、あるいは思い切った投資で成功を収めるかと思うと浪費で身を滅ぼしたりするのでしょう。無邪気な三歳児たちは、それぞれに癖のあるスクリューを与えられて人生という海原に船を出したばかりです。しかし、荒波にどう舵を切るかはスクリューのせいにはできません。自分に与えられたスクリューの癖を知って、波が来る度に舵を切るのは自分自身の意志なのです。舵を切り舵を切りしたあげく、チャンスを逃そうが身を滅ぼそうが、それは自分で引き受けて行くしかありません。できれば無理をせず、身の丈に合った舵取りをしてほしい…。人生の幸せは法外な出世や栄達にあるのではなく、身の丈に合った舵取りをする手ごたえの中に存在していることを、ジジババは既に知っています。だからこそ、孫という未熟な水夫に注がれるジジババの目は、やさしくも哀しい光を宿しているのです。

 ベンチに眼鏡をかけた小さなお婆さんが座っていました。膝の上に新聞紙でくるんだ一本のカーネーションが乗っていました。スカートと同じ生地でこしらえた洒落た頭巾が目に止まり、

「頭巾、ご自分で作られたのですか?」

 声をかけると、

「はい?」

 こちらへ傾けた耳に補聴器がありました。

 もう一度質問を重ねると、

「これは随分前に作ったものです」

 お婆さんは笑って答えたあとで、雄弁に自分の身の上を語り始めました。

「私はあなた、独居、貧困、障害の三重苦なのですよ。今日も午前中は障害者のデイケアに出かけて来ました。高齢者の集まりとは違って、障害者のデイケアは、お子さんから私のような年齢の者まで参加しますから、そりゃあ楽しいですよ。何でも同じ種類の者ばかり集めてはだめですね。このカーネーションも、そこで戴いた一足早い母の日のプレゼントです。え?私の子供ですか?これがあなた、思うように行きません。長男の嫁はうつ病で、私は昨年定年退職した息子の方が先に参ってしまわないかと心配しています。次男の嫁は姑と関わらないことを条件に嫁いだ人ですし、三男の住んでいるのはマンションの四階で、ここがエレベーターの止まらない階なのです。しかし、耳は不自由でも私は目が見えるから幸せだと思っているのですよ。目が見えるおかげで食事も自分で作れますし、どこへでも出かけて行きます。年寄りは行くところがないとすぐだめになりますからねえ…。これから帰ってカーネーションを花瓶に飾ったら、喪服に着替えてご近所のお葬式です。忙しくしています。歳ですか?私の?」

 もういつ死んでも構わないのだと前置きして、大正二年の九十二歳ですよ…と言い残して立ち上がったお婆さんの足は、外側に湾曲していました。このお婆さんは、三歳の頃、どんなふうに鯉に餌をやる子供だったのでしょう。九十二年間、舵を切り舵を切って、耳が不自由だけど目が見えるから私は幸せだと言い放った時、お婆さんはまた一つ自分の意志でしっかりと幸せの方向へ舵を切ったのです。