毛が生える話し

平成19年06月13日(水)

 毛が生える話しと言っても、残念ながら増毛の話題ではありません。

 何気なく使っている分には気にもとめませんが、一旦そこに注意が向くと、どうしようもなく滑稽な表現の代表として、「毛が生える」を挙げてみたいと思うのです。

「凄いなあ!その若さで一戸建てのマイホームかよ」

「家ったって、犬小屋に毛が生えたようなもんだから…」

 犬小屋に毛が生える!

 普段は遣り過ごす会話ですが、たまたま日常という檻の扉が開いていて、私の想像力に自由が与えられている時は、脳裏に、毛の生えた犬小屋が浮かびます。屋根といわず壁面といわず、犬小屋のあちこちにボワッと毛が生えているのです。

 やがて想像は映像になって、

「ただいま」

 スーツ姿で、四つん這いになって、毛の生えた犬小屋にもぐりこむ夫を、

「あら、お帰りなさい、早かったのね」

 中から同じように四つん這いの妻が迎えに出ます。

「やっぱり、もっとカネかけて、ちゃんとした家を買うべきだったかなあ」

「何言ってんのよ、これでも立派な一戸建てじゃない。雨露が凌げればいいのよ」

「今度の日曜に一緒に家の毛を剃ろうか」

「ダメよ、毛を剃ったらただの犬小屋よ」

「そうだよなあ…。毛が生えてるから、人はちょっと変わった家だと思ってくれてるけど、剃ったらただの犬小屋だもんなあ」

 なんて会話まで聞こえて来て、おかしくておかしくて、

「おい、何ニヤニヤしてるんだよ、人の話し聞いてんのか?」

 と指摘されて我に返っても、しばらくは毛の生えた犬小屋の映像に悩まされるのです。

 毛が生えるという奇妙な表現は、いったいいつ頃、誰が使い始めたのでしょう。

「社交ダンス習ってらっしゃるんですって?」

「いえ、社交ダンスと言っても、年寄りが運動のために習うんですから、盆踊りに毛が生えたようなものですよ」

 盆踊りに毛が生える!

「おいしいスープですね」

「またまた、お口のうまい。スープはスープでも、私のは味噌汁に毛が生えたようなものですよ」

 味噌汁にも毛が生えます。

「退職金ったって、お前、零細企業の退職金は、月々の給料に毛が生えた程度のもんだぞ」

「みずうみなんて言うけどよ、あんなもなあ池だよ、池。池に毛が生えたようなもんだ」

「優勝って言えばカッコいいけどさあ、そもそも全体の数が少ないんだから、参加賞に毛が生えたようなもんよ」

 毛は何にでも生えるのです。

 『毛が生える』を広辞苑で調べると、『わずかにまさってはいるが、たいして変わらないもの』と出ています。毛が生えることによって、それまでとわずかにまさりはするものの、たいして変わらないもの…。ひょっとすると第二次性徴が語源なのでは?と、考えを巡らせたところでやめておきましょう。これ以上根拠のないことを書き連ねると、コラムは猥談に毛が生えたようなものに変質しそうです。