社会的統合失調

平成19年06月26日(火)

 不具合の見つかった家電製品を、購入したばかりの量販店に持ち込むと、

「私どもは販売専門店ですので、メーカーに送ってみませんと何とも…」

と言われました。

 スーパーで野菜サラダのパックを手にとって、セロリは入っていないでしょうね?と店員に尋ねたら、

「しばらくお時間頂いていいですか?メーカーに問い合わせますので…」

 と言われました。

 高度文明社会は高度分業社会なのですね。

 作る人は作るだけ。運ぶ人は運ぶだけ。売る人は売るだけ…。しかも作る作業はさらに細かく分断されて、人は自分の作った部分が構成する製品の全体像を知りません。経営陣は現場を知らず、現場は上層部と口を利いたこともなく、経理は数字ばかりを睨み、人事は従業員を書類で判断して配属を決定します。運ぶ人も梱包された荷物の中味を見ることはなく、売る人は、商品に不具合があっても原因の説明ができないどころか、派遣という労働形態の浸透で、販売する会社の社員ですらないのです。

 警察官は捕まえるだけ、裁判官は裁くだけ、矯正施設の職員は指導するだけ、内科の医師はさらに専門が消化器、循環器、呼吸器と別れ、耳鼻科の専門医は泌尿器の病気が分かりません。

 牛肉に豚の心臓が混じっていても、社長は現場の仕業だと言い逃れ、現場は社長の指示だといい淀み、包装業者は牛肉百パーセントという表示を印刷し続け、スーパーは表示を信じて店頭に並べ続け、消費者が事実を知った時には、既にマスコミという巨大な権力が、一匹の獲物と化した責任者に群がって、骨までしゃぶり尽くしています。

 集金した年金保険料を着服した職員は、追及して罰することができたとしても、全国にグリーンピアを乱造して桁違いの無駄を敢行した責任者の固有名詞は、組織決定というベールの陰で守られています。

 巨額な裏金の存在が発覚した行政組織では、長期に亘ってそれを捻出消費しては退職して行った不特定多数の職員たちが、ほっとした表情で見守る中を、発覚した時点でその処理に関与していた現職の職員だけが、非難の猛火を浴びて自ら命を絶ちました。

 遠吠えのように財政危機を訴える政治家の演説を意に介さず、具体的な国の運営は、国家よりも個人の保身と栄達を優先しているように見える官僚機構の手中で、黙々と負債を増やし続けます。

 壊れたオーブントースターの修理を販売店に依頼すると、

「こちらでは対応しかねますので、しばらくお預かりさせてもらってよかったですか?」

 と奇妙な日本語で対応され、不自由な数日を忍んだ後で、

「これですと、あと二千円ほどで新しい機種がお求めになれますが…」

 微妙な金額の見積もりを渡されて、思い切って購入を決断すると、古い製品の引き取り料金を要求される・・・これらのことどもの集積が文明社会の姿なのです。

 チャップリンが生産過程の歯車と化した人間の姿を描いて資本主義社会を風刺しましたが、不祥事がある度に同じ種類の反省や警告を繰り返し、人権だ、尊厳だと唱えながら発展したはずの現代社会はどうでしょう。工場のラインのようにくっきりと際立ってはいないだけで、人々はその役割を限りなく細分化されて、正規職員はサービス残業に明け暮れ、派遣職員は低賃金と失業の不安に喘いでいます。

 高度に分業化することによって効率よく大量に提供される物やサービスや情報の、提供者であると同時に消費者でもある私たちの生活は、虚しい豊かさと煽られた欲望に溢れています。全体像の見えない生産に従事して得たカネで、責任の所在の判らない商品を購入して手に入れる暮らしには、釣った魚を焼いて食べるような確かな手応えはありません。その嘘臭い虚しさは、丸太の柵だと思って触ったら、木肌を真似たコンクリートだったり、木目の美しい天井をよく見たら、木目をプリントした合板だったり、水滴の浮かぶ青々とした観葉植物が実はプラスチックだったり、公園の樹木を飛び交う鳥の声が録音だったりした時に感じる虚しさに似ています。

 やがて、全体の見えない苛立ちと、将来の見通せない焦燥と、部分に徹して生きるストレスに耐えられなくなった耐性の弱い固体が、騒音おばさんになり、ゴミ屋敷を作り、無抵抗な児童への攻撃を始めると、教育現場では挨拶運動を行う傍らで、知らない人から声をかけられたら叫び声を上げる訓練を実施して、小さな心の中に友好と警戒の同居を強いるのです。同様に、地域の再生を図ろうとすると、個人情報保護法が連絡網の作成を阻みます。お年寄りを犯罪から守るセキュリティシステムが救助に入ろうとする救急隊員を阻みます。犯罪が発生するまで警察は手が出せず、暴走族に石を投げて懲らしめれば、投げた側が傷害罪に問われます。それやこれやの状況を、もはや人は感情レベルで統合し切れなくなっているのではないでしょうか。

 社会的統合失調…。

 昨今の我が国の危機的状況をそう位置づけてみると、JRの運転ミスも、日航の整備ミスも、完成して間もなく方々に亀裂が走る欠陥マンションも、労働者の質の低下というよりも、高度分業社会にぽっかり開いた不気味な闇の入り口のような気がするのです。