横文字の効能

平成19年07月20日(金)

 出張の途中で国道が渋滞し、わき見のクルマに追突されたのが、偶然、警察署の正面でした。これ幸いと警察署の駐車場に車を入れて、二人で事故の届けをしましたが、被害者である私の調書を取り終えた警察官が

「それじゃ、あなたの職業は?」

 加害者の若者に聞くと、

「色々っす」

「色々?」

「一応、いま、家具運んでますけど…」

「つまり家具販売店の従業員なんだね?」

「あ、いえ、それは今日までなんで…」

「今日までって、ん?つまりどういうこと?」

「まあ、バイトみたいな感じっつうか」

「バイトって、あ、もしかして君、フリーター?判った!あんたフリーターだね?」

 ようやくぴったりした言葉を探し当てた警察官は、職業欄にフリーターと書き込んで晴れ晴れとした顔で次の作業に移りました。

 フリーター…。昔なら「定職なし」と書かれて白い目で見られるところなのでしょうが、フリーターと横文字で表現されたとたんに、ある種のスマートな市民権が生じるのはなぜでしょう。

 日本は島国です。文明は常に海外から流入し、今も流入し続けています。横文字、つまり外国の言葉は、それだけで文明の香りを伴って洗練された印象を放つ効能を持っているのです。


「うちの息子ね、理由は判らないけど、働こうとしないんだよ。いや、食欲もあるし、コンビニとかにも出かけていくから、病気っつうんじゃないんだけどさ、最初の職場辞めてから働く気ないんだよな、三十に手が届くっつうのに…いったいどうなってんだろ?」

「ん?ひょっとしてお前、それ、ニートじゃかいか?そうだ、ニートだよ」

「ニート?そっかあ、ニートかあ。なあんだ、うちの息子、ニートだったんだ!」


「最近、公園に乞食が増えてねえか?」

「バカ、お前、乞食っつうのは差別用語だぞ。言葉に気をつけなきゃ」

「ごめん、ごめん、ホームレスだよホームレス」


「私ね、ここんとこずうっと目つきの悪い変態男に付け回されて困ってるの。気味が悪いわ」

「それ、お前、ストーカーだぞ」

「そっかあ、あいつ、ストーカーなんだ」


「誰とつきあってんだ?例のパーマ屋の兄ちゃんか?」

「彼はパーマ屋なんかじゃないわ!ヘアメイクアーティストよ」

「ヘアメイクアーティストねえ…。見かけによらず難しいことやってんだ」


「お前、何だってそう人の言葉を悪意に取るんだ?もっと素直になったらどうだ」

「あなたには、私のようなアダルトチルドレンの気持ちは分かんないわよ」


「彼女、お…女じゃないのか?あんなに綺麗で、本当に男なのか?」

「何言ってんのよ、ニューハーフよ」


「誰だ、こんなチラシ作ったの。こんなんで人が来る訳ないだろ?たこ焼屋店員募集って…スタッフだよ、スタッフ。たこ焼ショップ・スタッフ募集にしろよ。八百屋だってフードショップスタッフだぞ。薬屋はドラッグストアースタッフだ。キッチンスタッフにケアスタッフ。もう横文字じゃなきゃ通用しない時代になったんだぞ」


 こうして挙げて行けば切りがありませんが、トイレと言えば本来の日本語が持つ不浄さが払拭されて、小ぎれいなイメージで受け止められるように、横文字には、日本語の言葉そのものに込められた歴史的な非難や否定的な評価を一掃して、手垢のつかない状態で提示する効能があります。いわれのない差別を容認するものでは決してありませんが、デリバリーヘルス(出張売春)とか、セックスワーカー(売春婦)とか、テレホンアポインター(電話勧誘員)といった言葉が、その反社会性を横文字の持つ新鮮さで覆い隠して、日の当たる場所に出て来て欲しくはないものだと思います。