傷つき上手の叱られ下手

平成19年08月08日(水)

 横綱朝青龍がうつ状態に陥っているというニュースが駆け巡りました。骨折を理由に地方巡業を欠席しながら、故郷のモンゴルに帰り、何と、元気にサッカーにうち興じていた事実が明らかになって、相撲協会から三場所の出場禁止と謹慎を言い渡されたことが原因のようです。

「まだ、うつ病ではありませんが、このまま放置すれば、あと三日か四日で間違いなく病気の範疇に入るだろうという状態です。目に生気がなく、会話もよどみがちでした」

 本人にとって好ましい環境で休息させることが必要です…という往診した医師のコメントが、終日ニュースの度に放送されました。マスコミは早速モンゴルに飛んで取材を敢行し、処分が不当であるとか、外国人だから処分が厳しいのではないかという市民のコメントを紹介しました。

 実は私は横綱の去就や事の推移にはさしたる関心がありません。あと三日で病気の範疇に入るなどという不思議な診断についても、意見を述べるつもりはありません。それよりも見過ごしてはならない問題を三つ指摘したいと思うのです。

 一つは、横綱のモンゴルでの様子が簡単に、しかもタイムリーにマスコミに流れてしまうという事実です。よく幼児殺害事件のあと、マスコミをシャットアウトして行われた葬儀の映像が、すぐにワイドショーで放映されることがありますが、聞くところによると、携帯電話で撮影した動画をテレビに持ち込むと高く売れるのだそうですね。持ち込む参列者にも、買うマスコミにも、何かしら重大なモラルの欠如を感じます。悪が明るみに出て社会的制裁を受ける様子には溜飲が下がる一方で、背後から不意打ちで敵討ちが行われるのを見たような卑劣さを感じるのです。一般の関心が一斉に朝青龍事件の顛末に向かうのをよそに、映像の提供者が報酬を手にほくそえんでいるのかと思うと何ともやりきれない気持ちになります。

 いま一つはモンゴルにまで出かけて行って彼の国の住民にマイクを向けるマスコミの姿勢です。例えば喧嘩をした夫婦のそれぞれの実家に出向いて行って意見を聞き、それをまたそれぞれの実家に伝えればどうでしょう。喧嘩は次々と関係者を巻き込んで紛糾の度を増すに違いありません。だから二人に良かれと思う良識ある人はそれをしませんが、マスコミは好んでそれをするのです。火事を発見して報道するまではマスコミの使命でしょうが、ガソリンをまいて類焼の様子をスクープするのは犯罪です。珊瑚礁の危機を効果的に報道するために、自ら落書きをして映像を撮った朝日新聞の許されざる行為は、意図としては理解できますが、角界のルールに沿って下された横綱に対する処罰について、わざわざモンゴルにまで出向いて行って世論を煽る行為には、動機において火に油を注ぐのに似た胡散臭さを感じてしまうのです。

 さて最後は表題の、傷つき上手の叱られ下手についてです。

 朝青龍の「うつ」の真偽や程度は別にして、処罰が下されたとたんに精神的ダメージを表明して「弱者」あるいは「被害者」の砦に立て籠もる姿勢は、それがスポーツの頂点に立った者の行為であるだけに、子どもたちに深刻な影響を与えるように思うのです。窮地に立たされた政治家が入院する例は枚挙にいとまがありません。しかし、今回のように、精神的ダメージを受けたら最適な環境で休養すべきであるといった風潮が一般化するのはどうでしょう。教員に叱られた子どもがしょんぼりして、学校に行きたくないとつぶやいて、医師にうつ状態と診断されたとたんに、叱った側は叱り方について責めを負い、子どもの側は叱られる側から労わられる立場に変貌してしまいます。それが予測できるから、教員は叱らなくなり、叱られない子どもたちは社会規範を逸脱することの本当の恐ろしさを経験しないまま成長します。社会に出て、初めて叱責を受けた彼らは、腹を立ててすぐに会社を辞めるか、あるいは子どもの頃と同じように、傷ついた弱者を演じて被害者の砦に閉じこもるのです。

 傷つき上手の叱られ下手…。

 この国が、こんな人たちばかりで構成されるようになれば、やがては国家そのものが、外から非難されたと感じるや易々と傷つき、謝罪して庇護を期待する行動様式を身につけてしまうように思います。