法治国家の危うさ

平成19年08月08日(水)

 今年はどうしても規模の大きな花火が見たくなって、豊田のおいでん祭に出かけて行きました。

 豊田市に向かう地下鉄では、駅ごとに華やいだ浴衣姿の若い男女が乗り込み、目的地の駅は、服装こそ違え、通勤時間帯の八重洲口のような混雑ぶりでした。炎天下、水を求めて移動するバファローの大群のように、歩く速度も方向も人波に任せて、ぞろぞろと矢作川の堤防までたどり着くと、河川敷は既に所狭しと青いシートが敷き詰められて、場所取りの見物客で溢れていました。

 手頃な階段に陣取って汗を拭き拭き待つこと二時間…夕なずむ紫色の空にぽっかりと満月が浮かび、その月が明るさを増した頃から、戦いの火蓋を切るように花火が始まりました。のんびりとした田舎の花火と違って、トヨタ王国の威信をかけた光の競演の豪華さと迫力には、期せずしてどよめきと拍手が涌き起こります。夜空を縦横に光の帯が走り、爆音の連続と共に、おびただしい数の金色の大輪が次々と炸裂して漆黒の中空を埋め尽くし、光のすだれが滝のように川面まで垂れ下がるフィナーレは、息をするのも忘れてしまうような美しさでした…が、満ち足りたひとときの後には、必ず腹立たしい出来事が待っているもののようです。

 思い思いに集まって河川敷を埋め尽くした群集は、帰るときは一気に駅を目指します。

 主催者は、方向の違う群集同士のトラブルを避けるために、堤防道路を一方通行に規制して要所要所の警備を怠りません…が、道の途中で突然進行が淀むのです。

 なぜだ?なぜ進まない?

 むっとする匂いと、汗ばむ肌が触れ合う不快感の中で、誰もが苛立って背伸びをします。どうやら前方で障害物が進行を妨げているための渋滞だということは解るのですが、正体は不明です。やがて行列は障害物を左右に避けながらのろのろと進み、ようやく原因が判明した時は唖然としました。浴衣姿の若い男女数人が、さっきまで花火見物をしていた道の中央に、そのまま居座って酔い痴れているのです。ちょうど増水した川の中州に取り残された釣り人の格好ですが、浴衣の前を見苦しくはだけ、周囲の群集を挑発するように見上げる血走った目からは、自分たちが大変な迷惑の原因になりながら酒盛りをしているという異常な状況に、却ってヒロイックな興奮を覚えている様子が窺えます。

 そんな連中に、

「君たち、どきたまえ。邪魔だろう!」

 と正論を吐いたところで、素直に従うはずがありません。むしろ注意をすれば、待ってましたとばかり言い争いになって、私自身がトラブルの当事者になりかねません。そうなれば、若者たちと一緒に警察に連行されて、事情を聞かれて、調書を取られて…。

「酩酊した若者と違って、あなたは分別盛りの学校の先生でしょう?自ら注意をしたりしないで、警察を呼ぶくらいの配慮がなぜできなかったのですか?それともあなたも酔っていたのですか?」

 批難の言葉が聞こえて来そうです。

「身動きもできない、あの混雑状況で、警察が呼べますか?私は当たり前の注意をしただけです。それとも若者の迷惑行為を警察は見過ごせと言うのですか!」

 とでも反論すれば、

「しかし、結果的にはあなたが新しい騒ぎの原因になって、帰りを急ぐ大勢の人たちに、もっと大きな迷惑をかけたわけですよ。それは反省していただかないと」

 と言い返されて、結局、終電車には間に合わず、どこのホテルも一杯で、多額の料金を支払ってタクシーでわが家にたどり着いたものの、腹立たしさと後悔で一睡もできない事態を招くことは十分想像ができます。そして、そのような想像を働かせて自分の感情を抑制する能力を称して、「良識」と言うのだとしたら、花火会場の群集は良識ある群集でした。誰一人注意をせず、非常識な若者たちに密かな軽蔑のまなざしを送るだけで通り過ぎて、それぞれが駅まで続く雑踏の一員であり続けました。

 しかし…と帰り着いてから思うのです。

 同じような場面には日常の随所で出会います。コンビニの入り口に座り込む若者たち。駅の階段を占拠する女子高生たち。食堂で喘息患者の呼吸器をまともに襲う副流煙。耳を覆いたくなるようなオートバイの排気音。町に響き渡る凱旋車の軍歌…。考えてみれば私は、(いえ、恐らく私たちは)これらの迷惑の全てに「良識」を働かせて見ぬふりを決め込んでいます。つまり、法治国家において「良識」が苦々しく放置する迷惑行為は、警察と司法の力に委ねる以外に制止や懲罰の手立てはないのです。オートバイの暴走を警察に通報しても一向に改善されない現状に業を煮やした住民が、走るオートバイに石を投げつけて怪我をさせれば、石を投げた側が罰せられるのが法治国家のシステムです。

 関わらない方がいい…。

 危険を回避する「良識」が社会にも学校にも蔓延しています。しかし、目を逸らすことで出口を失った憤りや苛立ちは、高圧のガス体となって人々の心にわだかまっています。一触即発。いつキレてもおかしくない状態で保たれている平穏が法治国家の平和だとすれば、連日報道される常軌を逸した事件の数々は、あながち特殊な人間たちが引き起こした特別な出来事として看過するわけにはいかない社会的背景が関与しているのかも知れません。