テレビの視点

平成19年08月13日(月)

 NHKの「にっぽんくらしの記録 昭和三十年代スペシャル」という番組で、栃木県の僻地の分校にテレビが来た時の様子が流れました。

 医者もなく、寺もなく、小学校は分校ですが、中学生は毎日片道四里の道のりを本校へ通うという大変な辺境の地の分校の先生が、子どもたちにテレビを見せてやりたいと考えて、放送局にその熱い思いを伝えました。願いは叶い、放送局から届いた承諾の葉書を感慨深そうに眺める先生の顔は、慈愛に満ちていました。先生は翌朝、黒板に大きな字で、『あさって、テレビが来ます』と書きました。子どもたちは一斉に拍手で喜びを表しました。

 やがてテレビを積んだ放送局の車が村にやって来ます。つづら折りの山道を曲がって曲がって、はるばる分校に姿を見せた車を、先生と子どもたちが興奮した様子で取り囲み、関係者は盛んに頭を下げて放送局の好意と労に感謝の意を表します。ある日テレビで工作の番組を見た子どもたちの何人かが、誰に強制されるでもなく、家で船を作り始めます。先端を尖らせた方が船は速く進むのだとテレビで学んだ知識を親に披露しながら、出来上がった木っ端の船を得意そうに奥さん先生(先生の妻)のところへ見せに行く子どもたちの姿と、窓越しに船を受け取る奥さん先生の姿は、今はもう失われてしまった師弟の関係を感動的に表現していました。

 昭和三十四年に放送された、全編白黒の映像ですが、よくもこんなフィルムが残っていたものだ…と感心したとたんに、

 あ!

 突然思考の幕に穴が開きました。

 放送局からの葉書を受け取る先生の姿がどうしてフィルムに残っているのでしょう。今届いたばかりの朗報に慈愛の表情を見せる先生の顔を低いアングルから狙うカメラは、一体いつ準備されたのでしょう。そう気がつくと、『あさって、テレビが来ます』と書く先生の指先に向けられたカメラは教壇の端にあったはずです。子どもたちからは黒板の文字だけでなく、カメラも見えていたに違いありません。一斉に拍手する子どもたちの喜びを、拍手をする瞬間から捕らえたカメラが同じカメラだとすると、これも不自然です。昭和三十四年当時、取材に二台のカメラを持ち込んでいたとは思えません…とすると、黒板に文字を書き終わるや否や瞬時に拍手をしたはずの子どもたちの様子を、文字を書き終わるまで黒板に向けられていたカメラが捉えるのは困難なのです。そもそも昭和三十四年当時とはいえ、子どもたちは喜びを表すのに、スイッチが入った様に一斉に拍手などしたでしょうか?憧れのテレビを積んだ放送局の車が、つづら折りのカーブに近づいては遠ざかり、近づいては遠ざかるシーンは、誰が撮影したのでしょうか。そして船の工作です。番組に心動かされて工作をする子どもの姿と、それを眺める父親の姿をカメラはしっかりと捉えていましたが、自主的に工作をする子どもの存在をカメラはどうやって事前に知ることができたのでしょう。作り上げた船を得意そうに奥さん先生に見せる子どもの背中越しに、奥さん先生が窓から乗り出してそれを受け取るという大変効果的なアングルの映像も、カメラを事前に構えていなければ撮影できるシーンではないのです。

 事実を効果的に伝えるために、事前に十分なシナリオを書いて撮影してゆく作業には、報道と創作の狭間のあざとさがつきまといます。歌謡曲にも新聞記事にもニュース映画にも、常に政府の意図を反映することを強要された戦中の重苦しい統制から開放されて、ようやく報道の自由を手に入れたマスコミは、昭和三十四年にはもう、まことしやかにこんなことをしていたのです。

 「意図」のない報道ほどつまらないものはないでしょうが、「意図」のある報道ほど恐いものもありません。いったい人は「意図」を排除して物事を認識したり伝えたりすることができるものかと自問すれば、それだけで壮大な心理学上の研究テーマになるでしょうが、大臣の失言、イラクの情勢、原発事故の顛末、ニューヨーク株価の動向、生活習慣病の恐怖、川に現れたイルカから、芸能人のスキャンダルまで、マスコミを通じて与えられる情報に思考を委ねて暮らす私たちにとって、報道する側が持つ「意図」には注意を払わなくてはなりません。

 カメラには必ず視点があるのです。カメラの奥にはディレクターが、ディレクターの背後にはプロデューサーが、そして一番後ろにはスポンサーや、あるいは政府の意を汲んだ製作委員会が控えて、流す情報の手綱を握っています。マスコミに判断材料を委ねざるをえない文明の段階に暮らす私たちとしては、望まぬ方向にコントロールされないためにも、番組の内容を楽しむ一方で、時折りはカメラの視点を意識して、製作側の意図を考えてみる姿勢が必要になるのです。