靴の底のガム

平成19年09月08日(土)

 桑名に十時半の約束でしたから、逆算すると大曽根で九時二十分の普通列車に乗って、名古屋に九時三十三分に着き、七分の待ち合わせで関西線の亀山行きに乗り換えると、十時十一分に桑名に到着して、大変好都合のはずでした。プラットホームで待つことしばし、九時十八分に目の前に滑り込んだ列車がセントラルライナーでした。

 目当ての列車まであと二分です。

「ん?」

 JRが、わずか二分間隔で列車を走らせることがあるだろうか…といぶかしく思いながらも、乗車券より高額の座席指定券を購入するのがばかばかしくてセントラルライナーをやり過ごし、列車の発着時刻を表示する電光掲示の見える場所まで移動して愕然としました。『九時二十分発の名古屋行きは、十分ほど遅れて到着します』というテロップが赤々と流れているではありませんか。十分も遅れては、絶対に名古屋での乗り換えには間に合いません。

「!」

 こんなことならけちけちしないでセントラルライナーに乗ればよかったと思った時、駅員のアナウンスが響き渡りました。

「九時二十分発の名古屋行きは、急行列車の遅れのため、春日井を十分遅れて出発致しました」

 アナウンスがあったのは、九時二十分でした。プラットホームの乗客たちは一様に動揺した様子でしたが、私は咄嗟に、このまま済ませてはいけないと思いました。列車の遅れに腹を立てても仕方ありませんが、アナウンスの遅れには憤りを感じます。

 私は階段を駆け下りて南口の駅員事務室に向かいました。

「二十分発の列車の遅れを発車時刻にアナウンスするのはどういうつもりですか?遅れるという事実が分かり次第知らせてくれていたら、セントラルライナーに乗って予定の乗換えに間に合ったのですよ」

 すると、若い駅員から返って来た返事は思いがけないものでした。

「あ、アナウンスは北口で行っていますが、こちらは南口ですので…」

 私は愕然としました。そして、なぜか鮮やかに、このところ続いている政治家たちの発言を思い出しました。

「なんとか還元水はいったいどこに取り付けてあるのですか!事務所費の明細を明らかにしてください」

「事務所費は、法律通り処理しているところであります」

「その顔の絆創膏はどうされたのですか?」

「ご心配頂くようなことではありません」

「二人の大臣に続いて、わずか数日で辞任されるお気持ちはいかがでしょうか?」

「何の仕事もできないまま職を辞すことは非常に残念であります」

「これだけ閣僚の不祥事が続くことに対する任命責任についてはどのようにお考えですか!」

「二度とこのようなことのないように、しっかりと職責を果たして参りたいと存じます」

 いずれも質問の趣旨を見事に外して答えています。つまり、誰一人事態に真正面から向き合ってはいないのです。坑夫が目の前の石炭を掘るように、大工が柱に釘を打つように、医師が患者の病巣を切除するように、事態に直面して逃げないことが本当に生きるということだとすれば、これらの人たちは誰一人、手応えのある今を生きてはいないのです。自分が同じ立場に立てば、同じ答えをしないという自信はありませんが、事態をかわせばかわしたような手応えしか得られないということは人生の真理です。

 プラットホームに戻ろうとしてガムを踏みました。

 名古屋では、念のため関西線のホームに駆け上がって見ましたが、次の列車の出発時刻が空しく表示されているばかりでした。

(そうだ!近鉄なら間に合うかも知れない)

 切符を改札機に入れてJRを出る時は、私が桑名まで買ったという証拠までJRに奪われてしまったような惨めな気持ちに襲われました。

 改めて近鉄で切符を買って、何とか約束の時間に間に合いはしましたが、桑名の駅に降りてもしばらくは靴の底でガムが不愉快な音を立てていました。