情報の倉庫

平成19年06月05日(火)

 買い物をする度に、今手続きをするとポイントがたまるとか、粗品がもらえるとか、年会費は無料だとか言われて、ほいほい加入したクレジットカードが、管理しきれない数になりました。そもそも、おととい食べた夕食のメニューが思い出せない年齢になった者のところへ、ご利用代金明細と称して二ヶ月前にカードを使用した金額だけが送られて来ても何の代金なのか見当もつきません。その上、ご利用内容の欄に印刷されている文字ときたら、全てがカタカナで、とんと意味が分かりません。

 (ソフトバンクモバイルとソフトバンクテレコムとは同じなのか?NTT西日本とNTTコミニケーションズとNTTコムはどういう関係なんだ?別々に請求が来る以上別々の会社なんだな?しかし、送ってくるのはどれもDCカードの会社だぞ?いや、ちょっと待て。この明細の送り主は三菱UFJニコス株式会社と書いてあるが、おれが持っているカードは十六銀行のDCカードだぞ。あれ?カード名称の欄にはエスケーアイDCカードと書いてある…ということは、UFJで別のDCカードに加入したのかな?しかし銀行名は三菱東京UFJ銀行だろ?だったら、東京のつかない三菱UFJニコス株式会社というのは何だ?だけどETCの費用は株式会社十六DCカードという会社から明細書が送られてきている。とすると、やっぱりさっきの三菱は別のカードだ。しかしそんなカードは持っていないぞ。ひょっとして加入したカードを紛失したのだとしたらこの請求は拾った人の…)

 にわかに不安にかられた私は、まずは利用内容の明細を確かめようとカード会社の番号に電話すると、カード会社は引き落とした金額については責任を持っているが、内容はそれぞれの会社に問い合わせないと分からないとのこと。そこで手始めに携帯電話の会社に電話をしたところ、何と、明細はパソコンや携帯電話からアクセスできるようになっているので、そちらで見てほしい、請求明細を郵送で受け取りたければ月額百五円の費用が必要だと言うのです。請求明細書を受け取るために客が費用を支払うなんて、そんな理不尽なことがあるでしょうか?しかし考えてみれば、銀行でもATMで現金を引き出すのに、時間帯によっては手数料を取られます。集めたカネを高利で人に貸して商売をしている立場の者が、預けたカネを引き出そうとする言わば出資者から、手数料を取るのも理不尽です。いえ、そんなことを言い出せば、税金を取るために住民登録をさせておいて、その証明である住民票を取るのに手数料が要るというのも理不尽です。携帯電話の会社といえども民間会社ですから、近所の呉服屋と変わりません。世の中に、着物を買ったら請求内容はパソコンで見られるようにしておくから、明細書が欲しければ百五円よこせと言うような呉服屋は絶対にありませんが、携帯電話屋はあるのです。

 たとえ百五円でも、そんなバカバカしいカネが払えるか!とばかりパソコンに向かうと、IDは?パスワードは?暗証番号は?それを忘れた場合には秘密の質問の答えは?と、訳が分かりません。自慢じゃないが、おとといのメニューが思い出せない私に、IDやパスワードや暗証番号を思い出せるはずがありません。確かメモをしたような記憶もあるのですが、そのメモの在り処がわからないのです。思いつくままパスワードを入力して空しく拒否された画面に、誤ったパスワードを三回以上入力したらもう受け付けないから、日を改めてやってみろという趣旨の文面を見るに及んで気がつきました。

 年を取ったら、暮らしはシンプルな方がいいですね。

 私が店で買い物をしたら、私が直接店に代金を払う。その間に別の会社をはさんで支払いを代行させる必要はありません。カードに加入するということは、住所、氏名、年齢や取引銀行はもちろんのこと、いつどこで何を買ったかまで詳細に把握されてしまうということです。コンビニは、売れる商品の傾向を客の年齢層との関連で把握して、仕入れの参考にしていると聞きましたが、カードは全国規模、あるいは世界規模でそれを可能にする仕組みなのではないかと想像したら、ちょっと恐ろしくなりました。これだけ個人情報の保護がやかましく言われるということは、一方で個人情報が危機に瀕している状況があるからに違いありません。一枚のカードの向こうに、巨大な個人情報の倉庫が存在し、鍵を持つ特定の立場の者だけが自由に出入りして我々の情報を活用しているのだとしたら…。私は大切な個人情報を、わずかなポイントや割引と引き換えに売り渡していたことに気がつきました。

(うう…怖い、怖い。支払いは現金。通帳も印鑑も一つだけに限る)

 こうして意を決した私は、一つ一つ手続きをしてクレジットを脱会し、通帳から直接引き落とされる方式に変更する作業を進めているのですが、これがまた結構な日数がかかるため、どのカードの手続きが済んだのやらわからなくなるという、我ながら情けない状況に陥っているのです。