青い封筒ありますか?(3)(最終回)

令和03年09月22日(水)

「あの…ATMの前に着きましたが…」

 私は着信履歴の番号に電話して指示を仰ぎました。そもそも特殊なATMなどありませんが、そのことはすっかり念頭から消えていました。

 隣に刑事が立って息を潜めています。

「まずは本人確認を行いますから『残高確認』というところをタッチしてキャッシュカードを入れて下さい」

「表示された残高を左から数字で読み上げて下さい」

「はい。こちらの数字と一致しましたので、これでご本人であることが確認できました」

 ここが巧妙です。画面の残高を数字で読み上げさせて、銀行の残高データと一致していることをもって本人確認とする方法は、なるほどもっともらしく聞こえますが、この行為によって、詐欺グループは口座の残高を確認し、いくら振り込ませるかを決めるのでしょう。

「過払いの医療費をお振込する手続きに移りますので『次へ』をタッチして『振り込み』をタッチして下さい」

 あまりに自然な流れなので、『振り込み』は、相手からの入金を意味していると勘違いしてしまいます。

「支払元の口座の入力画面が表示されますので○○銀行××支店をタッチして下さい」

 冷静に考えれば振り込まれる側に支払元の口座情報など必要ありませんが、この段階ではもう振り込まれる側と振り込む側が意識の中で逆転してしまい、とにかく電話の指示に従って操作することで精一杯なのです。

「それでは、お客様番号を申し上げるので入力して下さい」

 と指示されたお客様番号こそ、残高の範囲内で振り込み可能な最大金額なのです。

 最後は、

「これで期間外手続きは完了しました。お振り込みを致しますので『振り込み』をタッチして下さい」

 とでも言って詐欺を完成させるのでしょうが、その寸前で画面を撮影した刑事が私の携帯電話に向かって大声を上げました。

「あんただめですよ、それって振り込め詐欺じゃないですか?」

「ちょっと、何をするんですか!医療費の払い戻しを受ける手続きをしてるんです。邪魔をしないで下さい」

 刑事は私の携帯電話を奪い、

「これって振り込め詐欺でしょう?え?私ですか?私はたまたま隣のATMで操作していた者ですが、あなた詐欺でしょう?警察に連絡しますよ」

 というところで電話は切れました。犯行に使われた口座は警察の手によって出金も入金も凍結されましたが、私が騙されたふりをして損失を与えた訳ではないことが犯人グループには分かるはずです。

 指示されるままATMを操作しているときの心理を振り返ると、催眠状態に近かったように思います。振り込まれる立場と振り込む立場がいつの間にか逆転していることにも気がつかず、ひたすら電話の指示に従ってしまう高齢者がいても不思議ではありません。行政からの大切な通知をうっかり紛失して、危うく損をするところを救われたという思いが根底にありました。自分にとって良いことが起きているという前提で、ことが進んで行くのです。

「振り込め詐欺?この俺がそんなものにひっかかるものか」

 とうそぶいていても、詐欺グループの設定する状況には、ある種、記憶力に自信のない高齢者を催眠状態にさせてしまう力があるのです。

「それにしても、手の込んだことをするのですね?」

「筋書きを専門に書く人間がいて、色々なシナリオが売買されています」

「ほう…」

「個人情報の名簿も売買されています。詐欺の被害に遭った人の名簿は特に高く売り買いされているようですよ」

「着信は名古屋の市外局番でしたが、拠点は名古屋にあるのですか?」

「海外に拠点があっても、名古屋からかけたように局番が表示される方法があるようです」

 私を自宅まで送りながら交わした知能犯係の刑事との会話は詐欺の電話の背後にうごめくたくさんの悪意の存在を教えてくれました。

 高齢期の入り口とはいえ、途中で詐欺であることに気が付く能力があるうちに、こんな経験をしたことを感謝しなければなりません。二度と騙されるつもりはありませんが、私の載った名簿は、騙され易い高齢者の名簿として、少し高額で別の犯人のところへ売られて行ったのかも知れません。

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