トラのしっぽ

平成20年05月30日(金)

 舞鶴で女子高生が遺体で発見されました。

 犯人はまだ発見されてはいませんが、少女が深夜図書館の前に一人でいるところを目撃されているようです。

「こんな卑劣な犯罪は絶対に許すことはできませんが、この種の被害に会わないためには、女性の側も深夜の外出はできるだけ避けるような配慮が必要ではないかと思います」

 あるトーク番組で年配のコメンテーターがそう言うと、

「何言ってんだよ。そいじゃあ深夜外出する女が悪くって、襲う男は悪くないっていうわけ?女が何時に外出しようと、それは自由なんだよ。男は襲っちゃいけないんだよ」

 女性の権利擁護で著名な学者タレントが野次を飛ばしました。

「せやけどな、この頃の若い女性はズボンの股上がこない短こうて、お尻の割れ目が、こう…見えてんねやで。あんな風に男を挑発したらあかんわ、あれでは犯罪を誘発してるようなもんや思うでえ」

 関西の落語家が訴える憤懣は、

「いいんだよ、女は露出しても。どんな格好しようと自由なんだからさあ。でも男は見ちゃいけないんだよ」

 くだんの学者の大声がさえぎりました。

 折りしも、ゲーム機に仕込んだ隠しカメラで女子高生のスカートの中を盗撮した専門学校の副校長のニュースが飛び込んで、私の近辺でも話題が最近の性犯罪に及びました。

「裁判官がセクハラしたり、教員が盗撮したり、やっぱり性的欲望を過度に押さえ込まなきゃならない仕事は、ストレスが溜まるんでしょうね」

「それにしても加害者は五十代の分別盛りが多いでしょ?あれが不思議ですよね」

「分別盛りどころか、迷える五十代だと思いますよ。子育てを終えてみると、夫婦は他人以上に遠い関係になっているし、職場じゃ先が見えてるし…」

「その上、目は疎くなる、記憶は悪くなる、体力は衰える、健康診査で血液の異常が指摘される。ああ…こうやって人生を終るのかというやりきれない気持ちと、いや、これで終ってたまるものかという運命に立ち向かうような思いとの間で揺れ動いているのが五十代なんですよ」

「揺れる五十代ですか…」

「…というより、トンネルの出口が見えたところで、自分が思ったより大事にされてないっていうか、家庭でも社会でも孤立しているのが判って、人生に懐疑的になってしまう非常に危うい年代なのだと思いますよ」

「なるほどね。しかし、五十代かどうかは別にして、女性が性犯罪から身を守ろうと思ったら、やはり深夜徘徊や過度の露出は慎むべきだと思いますよ、そうでしょう?」

 同意を求めたつもりでしたが、返って来た答えは思いがけないものでした。

「でも、そういう考え方は被害に会った女性を責めることになりません?」

「え?」

「私はやはり性犯罪を犯す男性が責められるべきだと思いますよ」

「もちろん、悪いのは男ですよ。被害に会った女性がいけないなんて一言も言っていません。ただ、自分を守るためには、わざわざ露出したり深夜に町をうろついたりはしない方がいいのではないかと言っているのです。あくまでも自己防衛です」

「仕事で深夜になってしまう女性だっていますからね」

「…」

「私、女性の側に被害に会わないように注意しろというのは明らかに差別だと思いますよ」

 議論がすれ違っています。

 それが解らない相手では絶対にありません。にもかかわらず、少しでも女性に不自由を強いたり、忍耐を迫る発言に対しては、猛然と反撃に転ずるには、転ずるだけの理由があるのでしょう。恐らく背後には女性であるが故の不合理な不利益に苦しんだ過去、あるいは現在があるに違いありません。

「私の娘なら、夜遅くに町をうろつくのは危険だからやめるよに言いますけどね…」

 私はようやくそれだけ言うと、踏んだトラのしっぽからそっと足を退けて、さりげなく話題転換を図りながら、差別を受けている側の気持ちになるのは本当に難しいことだということを改めて思い知ったのでした。