幼稚な提案

平成20年06月15日(金)

 とても卑近な喩え話しから始めましょう。

 あなたは苦労してプラスチック製品の製造工場を開設しました。斬新なデザインが好評で、みるみる売れ行きは伸び、一人二人と従業員を増やして、何年もしないうちに百人規模の大工場に成長しました。莫大な利益は従業員に分配されて、人もうらやむ豊かな生活が実現した頃、隣町に大学が誘致されました。すると、流入した大量の学生の安価な労働力に目をつけたライバル工場が、アルバイトを巧みに訓練して、よく似たデザインの製品をほとんど半値で製造し始めたのです。あなたの工場の製品はパタッと売れなくなりました。ぎりぎりまで値段を下げるのですが、人件費という生産コストそのものに圧倒的な差があるわけですから、太刀打ちできるはずがありません。さてそこで工場存続のために、あなたにはどんな選択肢があるでしょう。ライバル工場の追従を許さないような、魅力的なデザインの商品を開発でもしない限り、従業員の賃金を学生並みに下げるか、正規雇用の従業員の大半を解雇して、代わりに学生アルバイトを雇うかのどちらかしかないとは思いませんか?

 これと同じ状況が国家規模で起きています。日本工場は、かつて自分が西欧諸国の工場をおびやかしたのと同じように、隣国の中国工場におびやかされています。そしてわが日本工場の経営者たちは、この由々しき事態を、正規雇用の従業員を減らす代わりに、必要なときに必要なだけ働かせて、要らなくなればいつでも解雇できる、外国人労働者を含めた非正規雇用労働者を雇うことで切り抜けることにしたのです。これだと、やれ健康保険だ、年金だ、福利厚生だと、余計な経費もかかりません。効あって、工場は以前より多い利益を確保することができましたが、それは大半の非正規雇用労働者の低い給与の上に成立していましたから、経営者を含む正規雇用職員の給与との間にできた大きな隔たりを称して、格差社会などという言葉も生まれました。年収三百万円以下の低賃金にあえぐ非正規雇用労働者の不幸の対極で、少ない人数で責任を担うことになった正規雇用の職員たちは、成果主義の報酬体系の中で際限もないサービス残業に明け暮れる不幸にさらされました。深夜家に帰れば疲れて眠るだけという正規雇用労働者は、結婚に対して夢が持てず、雇用の不安定な非正規雇用労働者は結婚に対して自信が持てず、結果的に少子化が進みました。将来設計が立たないだけでなく、いつ解雇されるかも知れないという不安を抱えた非正規雇用労働者の絶望が、秋葉原でとんでもない事件を引き起こし、識者たちはいち早く二十五歳の犯人の特異な養育環境を指摘する一方で、背後に存在する不安定就労と、それに伴う格差社会の弊害について言及していますが、まてよ…と思うのです。結果を原因にすりかえてはいけません。

 もとはといえば冒頭の喩え話から始まったことでした。非正規雇用形態は、工場を潰してしまったのでは生活そのものが成り立たないところから出発してたどりついた苦渋の選択だったのです。

 声高に格差の解消を叫ぶのは簡単ですが、ライバル工場との競争に負けないで、日本工場を経営してゆくのは至難の技と言わなければなりません。そこで経済の分野は門外漢の私が、読者の失笑を覚悟の上で、子供のように幼稚な提案をして議論を喚起したいと思います。いっそ正規非正規などという雇用形態の区分はなくしてしまったらどうでしょう。事業所単位に、年毎の利益見込みをもとに、仕事の内容や責任の重さに見合った、合理的な利益の分配方法、つまりは年俸査定のルールを定めます。そして、育児、教育、住宅、失業、疾病、老後、介護など、労働者に生じる個々のリスクについては、国民全員が、政府の運用するそれぞれ一つの保険なり社会保障制度の下で、必要に応じて必要な給付を受ける方式を採用するのです。そうすれば、どんな雇用形態で、どんな企業に採用されるかによって引き起こされる「勝ち組」「負け組み」などという、「身分制度のような格差」だけは回避できるのではないでしょうか?

 大半が貧しくも平等であった戦後復興期を生き生きと乗り越えた経験に照らしてみても、あるいは日本中どこもかしこも、同じ風景、同じファッションに囲まれて安心する暮らしぶりから推してみても、我々は不平等というものに対しては、激しく不安を募らせる国民性であるようです。ましてや不平等が、身分制度のように理不尽で不合理なものであれば、真面目に努力する意欲まで喪失して、結局工場の経営は危機に瀕します。成熟した資本主義は、やがて共産社会に移行するという理論があるようですが、イデオロギーや政治体制は別にして、困難な経営局面を迎えた我が国は、既存のシステムからの脱却という困難を克服して、そろそろ北欧のどこかの国にあるような、やり直しの利く流動的な労働形態と、生活の安全、安定に焦点を当てた富の再配分の仕組みを真剣に検討しなければならない段階に入ったように思えてならないのです。