不機嫌な人々

平成20年06月20日(金)

 面白いうどん屋を見つけました。

 四人掛けのテーブル三つと二人掛けのテーブルが三つ埋まればそれで満員の、値段の割りに味はそれほど悪くない小さなうどん屋なのですが、五十代後半とおぼしき体格のいいオカミサンが、ちょっと類を見ないほど無愛想なのです。

 白地に黒く『うどん』と染め抜かれた暖簾をくぐると、

「いらっしゃいませ」

 という沈んだ声には、

「チッ!客が来ちまった…」

 というニュアンスが感じられます。

 こちらの顔も見ないで、そそくさとお茶を入れに行く様子には、不本意な用事を言いつけられて、ふてくされた子供の様な雰囲気が漂っています。

 ところがある日、時間の都合でお昼どきより早く店に入った私は、意外な事実を発見しました。例によって終始不機嫌に私の目の前に『鳥なんば』を置いたオカミサンは、厨房の夫を相手に、

 にこやかに談笑をし始めたのです。この人、笑うんだ…と思ったところへ、サラリーマン風の客が入って来ると、オカミサンの表情が、刷毛で掃いたようにサッと無表情になって、

「いらっしゃい」

 という抑揚のない声にはまたしても、

「チッ!また客が来やがったぜ」

 というニュアンスが込められていたのです。

 人間には内に向かって愛想のいいタイプと、外に向かって笑顔を振りまくタイプがいて、たいていは外に対して好印象を与えようと、化粧をしたり服装を変えたりしているのですが、オカミサンは内に向かうタイプの典型なのでしょう。夫婦水入らずのひと時に割り込んで来る客を、邪魔が入ったように感じるのに違いありません。

 そういえば、今まで出会ったたくさんの人を思い返してみると、不機嫌な雰囲気をぷんぷんさせていた人が何人もいます。

 小さい頃よく遊びに行った友だちの家には、元、芸者をしていたという噂のある痩せたお婆さんがいつも眉間に皺を寄せていて、天気が良い日はジロリと空を睨み、

「何て天気だい。こう暑くちゃたまんないよ」

 という顔つきでパタパタと扇子を使い、雨が降れば降ったで、ムッとした目つきで外を見て、

「ったく、嫌な雨だよ。どうにかならないのかねえ」

 という表情で煙管をふかしていました。

 保育園にも機嫌の悪い保育士がいて、子供たちは、もう一人の、えくぼの優しい保育士の方ばかりを取り巻いていましたし、小学校には、近づいて来るだけで、生徒の方がそそくさと路地に身を隠す恐い顔の先生がいました。中学になると、すれ違いざまに素早く男子生徒の頭に手を当てて、指の隙間から髪の毛が出ているのを確認するや、

「長い!」

 と短く叫んで、ゴツンとげんこを見舞う鬼のような先生がいましたが、スーパーで買い物カゴを下げた普通の顔の先生を見かけた時には、見てはいけない舞台裏を覗いたような気がして、慌てて柱の陰に隠れたものでした。

 教室には毎年必ず、お前の講義なんぞ聞いてられねえや、とでも言いたげな表情の学生がいます。町では、男なんて蝿みたいなものよとばかり、遠くを見つめてすれ違う派手な女性に出逢います。ちまちまと安いもんばっかり買うんじゃねえよと叫びたい衝動を口元に滲ませたスーパーのレジ係りがいるかと思うと、いつまで待ったって順番は来ないよと心の中でつぶやきながら、前の客にことさらゆっくりと対応しているJRの職員がいます。全てはこちら側のひがみであることは判っていても、不機嫌な人からはそんなメッセージを受け取ってしまうのです。そして、不機嫌な人の前に出ると、何も悪いことをしていない自分の方が、どうしてこんなに卑屈な気持になるのだろうと悔しく思いながら、ひょっとすると、いつもにこやかに周囲に愛想を振りまいていないと不安になってしまう私の方が、実は深い心の歪みを持っているのではないかと思うのです。