偽装列島

平成20年06月29日(日)

 今度は飛騨牛偽装が発覚しました。雪印からたどれば、不二家、ミートホープ、白い恋人、名古屋コーチン、赤福、比内地鶏、宮崎地鶏、船場吉兆、御福餅、一色うなぎ…と、偽装はきりがありません。食品だけではありません。耐震偽装が促した検査の厳密化は、建築審査の遅延をもたらして、この国の景気に大きな影響を与えました。公務員がせっせとカラ出張やカラ会議で捻出した裏金は、莫大な金額に上りました。給料から天引きした年金保険料を着服していた事業主の存在にも驚きましたが、預かった保険料に対する社会保険庁の杜撰な管理は、国家に対する信頼まで揺るがしています。

 環境問題がやかましくなって、ごみの分別の不徹底の指摘を恐れたある公共医療機関は、院内の全てのごみ箱を一新して、職員にも患者にも資源ごみと一般ごみの分別を強要しましたが、最終的には何もかも一緒にして廃棄していました。偽装です。電車を待っていたプラットホームで、缶とペットボトルの投入口が別になったごみ箱の中身を集めに来た職員は、缶もペットボトルも一緒になった大きなビニール袋を取り出して運び去りました。偽装です。事業主が領収書を根拠に収入から落とす経費の中には、いったいどれくらいの個人的経費が含まれていることでしょう。偽装です。卑近なところでは、形成術を施した鼻も、シリコンを注入したバストも、黒いコンタクトレンズによって一回り大きくなった瞳も、「化粧」の範囲を微妙に超えて、ささやかな偽装の匂いがします。

 考えてみれば、この国の軍事政権が解体されて、主権が国民の手に戻った「敗戦」は、「終戦」と表現されて記念日になりました。偽装です。憲法に戦争放棄と戦力の不保持を高らかに謳いながら、自衛隊は軍隊ではないと言い続けて、防衛庁は防衛省になりました。偽装です。アメリカ軍は核を持ち込まないなどと誰も信じてはいないくせに、表向きは非核三原則を標榜しています。偽装です。被爆国として不戦の誓いを捧げ、世界で自分たちほど無防備で平和を愛する国民はないという顔をした私たちの上を、アメリカの核の傘が覆っています。偽装です。そして全ては今始まったことではなく、延々と存在し、ようやく明らかになり始めたことなのです。

 昨年を表す一文字は「偽」でありましたが、それは「露」と書き直さなくてはなりません。偽りは、昨年多発したのではなく、昨年になって大量に「露見」したのです。偽装が、組織の浄化作用によって露わになり始めたのであれば大歓迎です。露見しないまま経過していれば、震度五程度で倒壊するマンションに今も安心して住み続け、他の客の食べ残しに高い料金を支払い、腐敗臭のする肉の混入した飛騨牛を食べ続けていたことでしょう。残念なのは全てが内部告発である点です。雇用形態が不安定になり、例えば理不尽な待遇に業を煮やした派遣社員が、解雇の腹いせに復讐を果たした結果の露見なのであって、例えば労働組合が、現場で気付いた不正を組織内部で正した姿ではないのです。

 個人の恨みに端を発する不正の告発は、組織が厳しく糾弾されればされるほど、次なる告発を誘発します。告発した側は、結果的には正義を行ったにもかかわらず、動機の暗さという一点において賞賛の対象にはなりません。告発された側は、さらなる偽装の露呈を恐れて嘘を重ね、いよいよ会社の存続が不可能になれば、たくさんの社員が家族もろとも路頭に迷うという一大悲劇が展開するのです。体の内部に発生するたくさんの癌細胞を免疫機能が駆逐するように、組織は、組織内部に発生する様々な不正を自ら正す浄化システムを意識して構築しなければなりません。そしてそれは会社だけでなく、健全な発達を遂げようとする個人にも国家にも、欠くことのできない要素であるように思います。このままでは、マスコミと評論家だけが鬼の首を取ったように跋扈する偽装国家であり続けるしかなさそうな気がするのです。