渥美格之進の服役

平成20年08月18日(月)

 お盆に帰省して柱時計が懐かしい音を四つ打つと、四時だ四時だ…と家事を途中で放り出した母親が無邪気にテレビの前に座って水戸黄門が始まりました。

 宿外れの山道で逃げ惑う村娘を、複数のならず者が取り囲み、今にも連れ去ろうとするところに格さんが通りかかります。

「何だてめえは?邪魔する気だな?構うこたあねえ、やっちまえ!」

 ドスを抜いて向かって来るならず者たちの手を折り鼻を折り、得意の空手で散々に痛めつけた格さんは、助けた娘を伴って宿場で黄門主従と合流します。娘から代官の悪政を聞いたところへ、シュルシュルッと飛んで来た風車には、代官と廻船問屋の悪事をしたためた弥七の手紙が結わえつけられていて、紆余曲折の末、最後には悪人一味が葵の印籠の前にひれ伏すというストーリーは、昔から変わりません。

「ああ、正義が必ず勝つ話はスッキリするなあ…」

 とスイッチを切る母親の晴れやかな顔を前に、

(もしもこれが現代だったら…)

 私の想像が飛びました。


 繁華街を少し外れた路地を通りかかった格さんは、

「何するのよ、嫌よ!放してよ!」

 という若い女性の声を聞きつけて、

「おい、乱暴はやめろ!」

 止めに入ります。

「助けて!」

 と格さんの背中に回った女性は、目のやり場に困るようなミニスカート姿です。

「何だよ、おっさん、関係ねえだろ?どけよ」

 取り囲む五人の若者は、いずれも眉のない醜悪な顔で、鼻にも唇にもピアスをつけて、手には鎖を巻きつけています。

「おっさん、怪我してえのか?」

 若者の一人は格さんの胸ぐらに手をかけたとたんにギャッと叫んでその場にうずくまりました。鼻を押さえた若者の手から真っ赤な血がしたたり落ちて道路を濡らします。

「この野郎!」

 もう一人が殴りかかりましたが、その瞬間にボキッという鈍い音がして、若者はぶらぶらになった片腕を抱えて路上を転げ回ります。あとの三人が怯んだ隙に、女性のハイヒールの音が遠ざかり、変わりにパトカーのサイレンが近づいて止まりました。

 警察の取調べは苛烈を極めました。

 乱暴されそうな女性を助けた経緯をどんなに説明しても、肝心の女性がいなくては話しになりません。

「若者たちは、ナンパしていただけで乱暴なんかしていないと言っている。女性からは被害届けは出ていない。あんたはどこも怪我をしていないが、若者の一人は鼻の骨、もう一人は腕の骨を折る重傷だ。誰が見たって一方的な傷害事件だと思うがね、ん?」

 という訳で、刑事裁判で有罪となった格さんは、国家公務員を懲戒免職となった上に、民事裁判で多額の慰謝料と損害賠償を命じられ、刑務所に面会に来る助さんとしみじみこう言い交わすのでした。

「なあ助さん、江戸時代と違って近代国家の市民は、たとえ正しいと思っても暴力を振るったら罰せられる。気をつけなきゃなあ…」

「しかし格さん、目の前で悪い奴を見かけたら放っておく訳にはいかんだろう。人生勇気が必要だと主題歌でも歌っている」

「いや、そういう時も自分で何とかしようなんて考えてはいかんのだ。警察を呼ぶんだよ」

「警察を呼んでたんじゃ間に合わないことがあるだろう?ここへ来る途中も地下鉄の階段に座り込んで通行を妨げているヤンキーたちがいたから、俺はいつものように注意をしたんだぞ」

「そしたら?」

「あいつら、一斉に恐ろしい顔でガンをつけて来たが、負けずに睨みつけてやったら、しぶしぶ道を空けた」

「運がよかったなあ、助さん。向かって来たらどうするつもりだ」

「俺の空手の腕は知ってるだろう?格さん同様、免許皆伝だ」

「そこが問題なんだよ。注意をする、向かって来る、止むを得ず応戦する…で、相手に怪我をさせた結果がこのざまだ」

「刑事罰に懲戒免職に慰謝料に損害賠償か…」

「そう…。近代国家というのは、個人の自由や権利を制限することには大変慎重だから、通路を塞いだり、ゴミの山を築いたり、大音響でオートバイを走らせたり、少々周囲に迷惑をかけたぐらいじゃ大した罪にはならないが、勇気を出して迷惑行為を注意したはずみで、相手に怪我でもさせたら大変な罰を受ける」

「なるほどな…それでみんな傍観者になるって訳か。それにしても善良な市民の方が迷惑行為をする側に歯が立たないなんて、法治国家というのはストレスのたまる社会だなあ。まあ、暴力が横行する社会よりはずっといいか」

「とにかくこの時代じゃ度胸と腕っぷしが自慢の俺たちの出番はないってことだよ」

「よし。格さんが出てきたら、ご隠居にそう言って、もう一度江戸の昔に戻してもらおう」

「頼んだぞ、助三郎」

 ♪人生楽ありゃ苦もあるさ…。

 渥美格之進の夢は再び江戸の空を駆け巡るのでした。