近視眼的民族の耳目

平成20年09月06日(土)

 医療機関で相談員をしている友人から愚痴の電話が入りました。要するに自分の役割が入院患者を、その希望や都合に関わらず、早期に退院させることになり果ててしまっていることに対する悲嘆と、それを評価するわずかな点数が診療報酬に設定されたことにより、それまでは経営上の要請であった退院調整という役割が、保険制度上も明確に位置づけられてしまったことに対する複雑な思いについての吐露でありました。

 医療機関で働く専門職の行為は、診療報酬という形で医療保険上の評価をされて、いわば収益を稼ぎ出しています。医師、看護師はもちろんのこと、検査技師が検査をすればそれなりの報酬が医療機関に入りますし、薬剤師が調剤すればこれも報酬として収益に貢献します。しかし入院、あるいは健康を損なうことによって生じる患者のあらゆる生活上の問題について、心理的支援も含めて相談に乗る医療相談員の仕事は、患者にとっての重要性とは裏腹に、診療報酬上は何の評価もされないまま長い間放置されていました。従って直接収益に結びつかない医療相談員など配置しない医療機関も存在しましたし、実は評価の対象外であることが医療相談に携わる者の悩みであった訳ですが、初めて評価されてみると、その対象となる行為が患者の生活支援ではなくて退院調整であったことが腹立たしいのです。

「なべさん、今の診療報酬はホント、患者さんが入院したらすぐに退院してもらわないと病院の経営が成り立たない仕組みになっていて、退院の条件をうまく整えるのが俺たちの仕事なんだけど、これがなかなか苦労でさあ…」

「でも最近は在宅医療が随分充実していて、例えば癌の末期の患者さんでも、家で上手に痛みや栄養をコントロールして、むしろ住み慣れたわが家で過ごせるという意味では、患者さんは幸せだって本で読んだけど…」

「そりゃあそんな本を書いた医者のいる地域は恵まれてるだろうよ。だけどそんな技術や経験を持っている医者がどこの地域にもいると思う?医者がいなくて病院が閉鎖される時代だぜ」

「?」

「少なくともこの地域にはそんな医者はいないよ。それに癌だけじゃなくて脳血管障害でまだまだリハビリの必要な患者さんだって容赦なく退院させなくちゃならない」

「…」

「まあ、国にはカネがないし、国民は保険料が上がるのも税金が上がるのも嫌がる訳だから仕方がないけど、明日はわが身かと思うと何だか恐ろしいよ。それに患者さんのためというよりも、俺たちは国の財政悪化の防波堤の役割をしているのだと考えるとやりきれなくてさあ…」

 出口のない友人の愚痴が延々と続く間、テレビでは、総理大臣の交代劇とそれに続く総選挙の行方について、複数のコメンテーターのやりとりが流れていました。

「年金、福祉、医療、少子高齢化、公務員改革、拉致問題に原油高…と難問が山積する中、さあ、自民党では次の総裁選の候補者がほぼ絞られて来たようですねえ…」

「まあ本命は麻生さんでしょうが、小池さんということになれば、わが国初の女性総理の誕生ということになります。人気低迷の自民党としては、総理総裁を決めた後の総選挙を睨んで、その種のインパクトも欲しいところですよね」

「結局、与謝野さんも石原さんも立候補の意思を固めたようですが、本当の目的はできるだけ派手に総裁選を行って、国民の関心を自民党に向けることそのものが大きな目的なんですね」

「しかし一方で、公明党と自民党との不協和音が今回の総理辞任の背景であるとか、複数の公明党の議員が民主党に接近しているという話が報じられたりして、誰が総理になっても次の国会運営は困難を極めそうですが…」

「いずれにしても、諸外国に比べて日本の総理大臣の在任期間の短さは異常ですからね。これは国の信用問題と言わなくてはなりません」

「はい。そこで総選挙の結果に大きく影響すると思われる総裁選の行方について、本命はいったい誰なのか、コマーシャルをはさんで、この人の意見を聞いてみましょう」

 番組はこのような調子で続いていましたが、まてよ…と思うのです。この国はいつだってそうです。選挙がある度に、誰が立候補するのか、どの議員がどの候補者を推すのか、陰でどんな大物が暗躍し、どんな思惑がうごめいているかといったことばかりが取り沙汰されて、国政を具体的にどうするかについては一向に話題になりません。やがて選挙の結果がでると、今度は連日、誰が国務大臣に選ばれるかという話題でもちきりになり、大臣が決まった後は、例えば事務所費の不正経理が暴かれて、再び新しい総理の任命責任が追求されるのです。そんなパターンはもううんざりです。それより私の友人が真剣に心配するこの国の医療について、麻生さんはどうするつもりなのでしょう。医療難民や介護難民を、小池さんはどうするつもりなのでしょう。与謝野さんは末期の癌患者を、これまで通り風邪や高血圧程度の診察に明け暮れて来た開業医のもとへ送り出すのでしょうか。

 単純に言えば、国家も家庭も収入と支出で運営されています。入院したお婆ちゃんの医療費が大変になったら、家計を預かる主婦がすることは決まっています。まずは、自分のパート収入も子供たちのアルバイト収入も含めて、いったいこの家にはいくらの収入があるのかを明らかにします。その上で、今度はお婆ちゃんの医療費を筆頭に、どんな支出があるのかをあらいざらい書き出して、医療費に回せる支出がないかを検討します。その結果、夫は晩酌とゴルフを減らし、子供たちはお小遣いを半分にし、車は燃費のいい軽自動車に変え、徹底的に高熱水費の無駄を省いた上に、家事を子供たちに分担してもらって、自分はパートの就労時間を増やします。全ては大切なお婆ちゃんの治療を続行するために家族が協力をするのであって、まさかおカネが大変だからお婆ちゃんの治療を減らしましょうという選択肢はないのです。

 国家にも同様の意思と作業が必要です。

 まずは病気になったり、体が不自由になった国民には最優先で安心できる医療や福祉のサービスを提供するのだという強い意思を固めることが重要です。その意思が示されないと、個人が最も疲弊した時に国家を頼れないという、大変深刻な事態を招いてしまいます。私の友人は正にこの点を嘆いていたのです。次いで収入の点検です。国家の収入、つまりは税を負担しているのは国民と企業です。国民といっても今日の暮らしがようやくの人もいれば、一枚三万円のTシャツを無造作に購入する人もいます。一枚三万円のTシャツが買えるのは本人の才覚が優れているからではありましょうが、才覚とは川のように流れている貨幣を上手に自分のところに一旦引き込んでは流す能力であると考えると、流域の暮らしのために負担する共益金、つまりは「税」も、引き込んだ水の量に相応しい金額であって然るべきでしょう。個人レベルの負担については所得税の累進性について政治が明確な哲学を示す必要を感じます。

 一方、企業の負担については著しく説明が不足しているように思います。 世界に冠たる優良企業がいったいいくら納税しているのか、それは世界的に見て妥当な金額なのか、法人税を上げると本当に企業は外国に逃げて行ってしまうのか、それを食い止める方法はないのか、法人税を上げることによって国際競争力が下がり、企業の業績が悪化して、法人税どころか、従業員の給与にもマイナスに影響して、税の負担能力が大幅に減少するというのはどの程度実証的なのか…。

 カネはないが、これ以上借金はできない…と言われて、社会保障費を削られる国民としては、

「ちゃんと税を取るべきところから取ってるのかよ!」

 という拭い難い疑念があるのです。

 さて支出の点検です。

 国家の支出には様々な利権や既得権がからんでいるので、夫の晩酌のように簡単には削減できませんし、財政出動は時の景気や外国とのお付き合いにも影響を与えるのですから、家計と同等には語れませんが、納税者である国民に解り易く説明するのは政治家の責務だと思います。そこで前述した国家の意思が重要になるのです。何を優先するのか、優先すべき施策の水準を維持するためには、何を我慢すべきなのか、立派な道路を走り、世界最速の列車で移動し、超高層のマンションに住む国民が、一たび病気になれば医療費節減のために寒々と見捨てられてしまう国であっていいのか…といった事柄に対する答えが政治家の口から明確に語られなくてはなりません。

「埋蔵金だか何だか知らないが、とにかく何にいくら使ってるんだか全部出してみろよ」

 医療や介護を削るのはそのあとだろうという大半の庶民の疑問に判り易く答える政治家が求められているのです。

 思いがけず長い文章になりましたが、総裁選も総選挙も相も変わらぬ下馬評に明け暮れて終了するとしたら、自分の所属する国家に対する国民の失望は計り知れません。候補者に直接質問する手段を持たない国民の耳目になることによって生計を立てているマスコミ関係者は、努めて高所から鳶のような目で政策を問いただす態度を自らに強いる必要があると思います。国民の代表たちを芸能人並みの扱いで論評することが、本来近視眼的な島国の民族の関心をどれほど卑近なものにしてしまっていることか…。責任は甚大であると言わなくてはならないのです。