長文暗記と言語回路

平成20年10月23日(木)

 落語全集という金色の装丁の分厚い本を二冊、祖父が私にくれたのは、私が小学校の五年生の頃だったように記憶しています。全集にはたくさんの落語が枕からオチまで旧仮名使いで収録されていて、子供にとって決して読み易い本ではありませんでしたが、娯楽の少ない時代のこと、私は小学生にでも理解できる作品だけを何度も何度も読み返し、例えば『じゅげむ』などは丸暗記して、級友に自慢したものでした。

「じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところにすむところ やぶらこうじの ぶらこうじ ぱいぽぱいぽ ぱいぽのしゅうりんがん しゅうりんがんの ぐうりんたい ぐうりんたいの ぽんぽこぴー ぽんぽこぴーの ぽんぽこなーの ちょうきゅうめいの ちょうすけ」

 という長い名前を一気に言うと、当時の級友たちは一様に感心して、もう一度言えとせがみました。意味がわかって感心するのではなく、ただ単に訳のわからないおまじないのような長い言葉を何度でも再生できるという特殊技術に敬意を込めて驚嘆してくれたのでした。

 振り返ると、この時の体験が大きな意味を持ったのですね。長文を暗記すると無条件に感心される…という公式が私の脳に埋め込まれた瞬間でした。

 母親は三波春夫が好きでした。好きなものは繰り返し聞きたい人なので、夜、内職をする母親の傍らでは、いつだって三波春夫の歌謡浪曲がテープレコーダーから流れていました。毎夜遅くまで内職に精を出していたのですから、考えてみればつましい経済状況であった訳ですが、発売されて間もないオープンリールのテープレコーダーの購入はためらわないのですね。テープレコーダーという文明の利器を利用して、私は三波春夫の『俵星玄播』という長編歌謡浪曲の暗記に挑戦しました。

「時は元禄十五年、十二月十四日、江戸の夜風を震わせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓、しかも一打ち二打ち三流れ。思わずはっと立ち上がり、耳を澄ませて太鼓を数え、おお!まさしく赤穂浪士の討ち入りじゃ、助太刀するはこの時ぞ。もしやその中に昼間別れた、あの蕎麦屋が居はせぬか…今一たび逢うて別れが告げたいものと、稽古襦袢に身を固めたるダンコクラの袴、股立ち高く取り上げて、後ろ鉢巻目の釣るごとく、長押に掛かるは先祖伝来俵弾正鍛えたる九尺の手槍を右の手に、木戸を開けて、一足表に踏み出せば、天は幽暗、地は皚皚たる白雪を、蹴立てて、目指すは松坂町…」

 これはほんの一部分ですが、巻き戻しては聴き、巻き戻しては聴き、中学一年生で暗記した長い歌謡浪曲は、六十歳を目前にした今も、浪曲部分を含めて全てアカペラで諳んじることができます。

 大人になってからは忙しさに紛れてすっかりなりを潜めていた私の長文暗記欲求でしたが、郡上八幡が産業祭に招いたバナナの叩き売りを聞いて久しぶりに胸が躍りました。だみ声で背が低く、ラクダの腹巻をした大阪の芸人は、バナナを山のように積み上げた長机の端を、五十センチほどの柔らかな棒で叩いてリズムをとりながら、「バナちゃん節」と称する長い歌を披露しました。台湾から海を越えてはるばるやって来たバナナの旅を面白おかしく紹介する歌でしたが、私にとってその長さがたまらない魅力でした。やがて歌詞は「叩き売り」の内容に変わり、男はひと房のバナナの値段をどんどん下げて行きました。

「まず最初が八百円、えもさいさい七百円、お高い相場じゃないけれど、こちらがバナちゃん本家なら、そういう高値を言うじゃない、そういう高値で売るじゃない」

 で始まる叩き売りの歌は、

「ならこいつがごんぱち(五十八)か、権八ゃ昔の色男、これに惚れたが小紫、ねえあなたあ権八っつぁん、生きてこの世で添えなけりゃ、死んであの世で添いましょと、めでためでたでさあ負けて、ならこいつが五十と五お、ゴンゴン鳴るのは鎌倉の、鎌倉名物寺の鐘、その音数えりゃ五十三か、五十三次ゃ東海道、一の難所が箱根山、越すに越されぬ大井川…ほら負けては四七かぁで、四百七十円。どや?買わんか?世間で買うたら七百円、八百円する高級バナナがわずかの四百七十円…ん?どや?カネないのんか?厳しい…厳し過ぎる…よし、待っとれ、こうなったらやけくそやで…まだ負けよ。四十七士の討ち入りは、時は元禄十五年、雪のチラチラ降る晩に…」

 といった調子で、故事や名所を織り込みながら、とうとう百円まで値段を下げたあげく、

「これ百円言うたなら、台湾銀行は総つぶれ、売った私の身の上は、家は断絶身は夜逃げ、夜逃げする身は厭わねど、あとに残りしノミしらみ、明日から誰の血を吸うて生きるやら、それ思うたら、これ百円では売られんぞ」

 と意表を突くのです。そして、

「こんな大きなバナナ、百円である訳がない。しかしスーパーで買うたら四百円、五百円は確実にする品物ですが、四百円が要らない。三百円が要らんで。二百五十円、二百円、どや、まずはこれ二百円でお買い求め頂きましょう」

 気持ちのほぐれた客たちと軽妙なやり取りをしながら男は積み上げたバナナを全て売り切りました。何だかんだで一時間は優に越える叩き売りの一部始終を小型のテープレコーダーに録音して、私は暇さえあれば暗誦に没頭しました。目的があるわけではありません。これだけ長いものになると余興で披露することもできません。ただ長文を暗記することに不思議な喜びと達成感があるのです。

 なぜ山に登るのかという質問に対して、そこに山があるからと答えた登山家は有名ですが、亭主の好きな赤烏帽子。人間の欲求は本来そういうものかもしれませんね。町で、よくもまあとびっくりするくくらい大量の鉢植えを玄関先に積み上げた家を見ることがありますが、手頃な緑を見つけると鉢植えにしなくてはいられないのでしょう。私の場合は長文の暗記でした。

 『声に出して読みたい方言』という本の付録に、さまざまな方言で色々な文学の一節を朗読したCDが付いていて、しばらくはこれも私を夢中にさせました。

「ながゃあ トンネルをくぐるとヨォ まあひゃあ そこが雪国だったであかんわ。夜の底が白なった。信号所に汽車が停まった。むきゃっ側から娘が立ってきて 島村の前のガラス窓をおとょおた」(『雪国』名古屋弁)

「知らねんだば しかへるか? 浜の砂っこぁ ねぐなっても 泥棒だっきゃ いねぐなるこだぁねえって 石川の五右衛門は 歌っこさぁ 残してらけんたにョ 晩げ しぇんもんの 泥棒だぁね」(『白波五人男』秋田弁)

「親ゆずぃの ぼっけもんで こどんとっからぁ 損ばっかぁ しちょ。 小学校おっと。 新築ん にけえかぁ とっこっち 一週間ばっかひ こひ抜かひた こっがっる。どいしこ そげん ぼっけなこっしたかっち きっしが あっかもしたん。 べち ふけ 訳でんね。新築ん にけえから くぶぅ出しとったなぁ 同級生のひとぃが わやくぃ どいしこ 威張ってん そっからとっこっち こっちゃ 出っくいんめがぁ 痩せん坊がぁっち 囃し立てたでじゃ」(『ぼっちゃん』博多弁)

 広沢虎三という浪曲師の『石松百石舟』という有名な演題の一節も暗誦しました。

「今、街道一の親分ってぇと誰でしょうねえ。ないね。え?ありやせん。街道に親分の数はあるが、おんなじ位に肩ぁ並べて、ぐっと図抜けたのはいねえが、五年経ったら街道一の親分ができますよ。ほう、誰です?この舟が伏見に着く、少し下った草津の追分に、身受け山鎌太郎。年は二十八だが、筆が立って算盤が高い、ヤクザにゃ強いが堅気に弱い、真の侠客。この見受け山鎌太郎、五年経ったら街道一の親分でがしょうねえ。なるほどね、名前は聞いてるがお目にかかったこたぁねえ。見受け山鎌太郎ってえのは、どこへ行っても評判がいい。帰りがけ、通りゃにゃならねぇ草津の追分かあ。一宿一飯でお世話んなって、おらぁ秤じゃねえが、向こうの貫禄をちょいと量ってみようかい。独り言を言っている石松の脇で、よく寝ていた若い男ががばっと起き上がって、あっあ~ぁ、うるせぇなあ、があがあがあがあ騒ぎやかって、寝らんねぇやぃ!ありがてぇ、ヤクザもんの話しになったな、江戸っ子だい、神田っ子だい、ふざけやがって、おう!そっちの人、その荷物にもたれてる人、お前さん、今、何とか言ったなあ。五年経ったら街道一の親分ができるだと?笑わせゃがらぁ、おう、一年先の話をしても鬼が笑うってんだぃ、五年先の話をしたら、鬼がどやって笑ったらいいんだい、今困ってるだろ 鬼が、笑いようによぉ。だからさ 今の話をしてくれよ、街道一の親分は、今立派にあるじゃねえか!それを知らなかった。誰でございゃしょう。駿河の国は安部ごおり、清水港はうど町に住む、山本長五郎、通称清水の次郎長。これが街道一の親分よ」

 ガマの油売りの口上はてこずりましたが、今では思い出そうとしなくても台詞が勝手に出てくるまでになりました。

「さあ、お立会い、御用とお急ぎでない方はよぅく見ておいで。遠出山越笠の内、もののあいろと利方がわからぬ。山寺の鐘はごうごうと鳴るといえども、法師一人来たりて鐘に撞木を当てざれば、鐘が鳴るやら撞木が鳴るやら、とんとその利方がわからぬ道理だお立会い、さあ、手前ここに取り出したるなつめの中には一寸八分唐子ゼンマイの人形。人形の細工人はあまたありといえども、京都にてはシズイ、大阪表は武田が伊之助、近江がダイジョウ藤原が朝臣。手前取り出したるは、武田近江が積もり細工。のんどにはハイ八枚の歯車が仕掛けてあって、背中には十二枚のこはぜがついている。このなつめを大道に据え置く時には、天の熱気と地の湿り気を受けて蓋が取れる。すたすたっと進むは虎の小走り虎走り、雀がこまどりコマ返し、孔雀霊長の舞いと、人形の芸当には十と二通りがある。だがお立会い、投げ銭放り銭はお断りをするよ。投げ銭放り銭をもらわずして何を渡世にしているやというに、手前長年来と制にしたるは金看板御免ガマの膏薬。さあ、ここに取り出したるは四六のガマだ。先ほどのご仁のように、そんなガマはうちの流しの下、縁の下にいくらもいると言うが、それは違うよ、これは四六のガマだ。四六、五六はどこで分かる。前足の指が四本、後ろ足の指が六本。このガマの住めるところは、これよりはるか東北にあたる、常陸の国は筑波山の麓、オンバコという露草を喰ろうて成長をする。このガマの油を取るときは、四方に鏡を立て、下に金網を張って、中にガマを追い込む。ガマは鏡に写った己の姿に己でおののき、じりっ、じりっ、とあぶら汗を流す。それをば下の金網に漉き取って、柳の小枝でもって三七が二十一日の間、とろぉり、とろりと煮詰めたるがこの油だ。赤いはシンシャやしゅうの油、テレメンテーカにメンテーカ、効能は近瘡古傷に効く…」

 こうして無目的ながら、むやみに長文を暗誦する作業を継続してみると、思ってもみない副産物がありました。いつの間にか頭の中に七五調を基調にした言語表出の回路ができあがっていたのです。何かまとまったことを言おうとすると、まだ形を持たない表現の「核」が、回路を通って自動的に言葉になります。これは大きな収穫でした。とりわけ一対一の会話ではなく、不特定多数の聴衆に向かってまとまった話をする時に真価を発揮するようです。「論語」を持ち出さすまでもなく、昔の子供たちの暗記を中心にした勉学方法は、あながち間違いではなかったのではないでしょうか。

 「うそ、マジ?」「超ダサくねえ?」「先公、ウザくてさあ、やってられねえよ」感覚的で短い会話が横行する昨今ですが、幼い頃からの暗記学習を再開してみてはいかがでしょうか。豊かな言語生活は豊かな精神生活に直結しているのですから。