嫌煙宣言

平成20年11月20日(木)

 口臭が気になることってありませんか?こちらが話しをしたとたんに、相手がわずかに顔を背け、適当に話題を切り上げてそそくさと席を立ったりすると、あれ?もしかして昨日食べた焼肉が…と、思わず手の平に息を吹きかけて嗅いでみることがあります。においを気にする国民であるからこそ、お口のにおいを取る歯磨きとか、おなかの中から息をきれいにする粒剤とか、口中を爽やかにするスプレイが売れるのですね。

 エレベーターに乗ったとたんに、むっとするような整髪料のにおいに閉口したことがあります。若い女性なら「おやじくさ~い」とあからさまに非難の声を上げるところですが、こちらはにおいを残す側ですから、あとの人に不快感を与えないために、整髪料は無香料のものを選びます。整髪料だけではありません。時に女性の化粧や香水の匂いにも強烈なのがありますし、冬のコタツにこもる足の臭いや体育系クラブの部室のにおいとなると、想像しただけで目が痛くなります。薬局に並ぶデオドラント商品の数々は、自分はひょっとするとにおいで人に迷惑をかけているのではないか…という不安に支えられて売れ続けているのです。

 ところがここに理解に苦しむ事実があります。

 たばこの煙です。

 食堂の席に着くが早いか、当たり前のようにたばこを取り出して火をつける人がいます。ふうっと吐き出した煙は、個人が占有して構わないエリア、つまり、当人の管理が及ぶ広さ、具体的に言えば、両手を広げて届く範囲を平然と超えて、見る見る店に拡散して行きます。煙は、たばこのにおいの嫌いな人の鼻腔にも容赦なく侵入して、嗅ぐ人を不快にします。しかし嗅ぐ人は、口臭の場合と同じように、当事者に遠慮して直接抗議をしませんから、ただじっと耐えるか、黙って席を立つのです。たばこか口臭か体臭かの違いがあるだけで、においで他人を不快にしている事実に変わりはありません。そのことに気がついた時点から、恥ずかしくてとても人前でたばこを吸う勇気など出ないはずなのですが、たばこだけは別なのですね。

 最近では、デオドラントに細心の注意を払っているはずの若い女性の喫煙が目に付きます。口中に消臭スプレーをし、脇に制汗剤を塗り、人一倍ニオイのエチケットに気を遣って着飾った若い女性が、口から吐き出される臭い煙については全く無頓着であることに、理解し難いバランスの欠如を感じます。においが広範囲に拡散して行くという意味では、人ごみでうっかり下半身から体内のガスが排出された事態と変わりません。自分がにおいの当事者である事実が判明するのを死ぬほど恥ずかしく思っているはずの若い女性が、口中から吐き出されるにおいに関しては、むしろ誇らしげですらあるという矛盾に、嫌煙家の一人として疑問を禁じ得ないのです。

「ここ、たばこ、いいですか?」

 飲み会でそう聞かれれば、会場が禁煙でない以上、拒否はできません。自分への配慮をそこまで強要するほど心臓は強くありませんし、聞く側も、配慮はしたぞというアリバイが欲しいのであって、拒否されることは想定していないと思うからです。やがて酒も回って喫煙は喫煙を呼び、一ヶ所に煙の集団が出来上がってしまうとたまりません。煙を吐く者たちは勢いよく中空に口を尖らせ、ノーと言えない小心者たちは、襲いかかる煙から逃げるように席を立つか、ひたすら身の不運を耐えるしかないのです。周囲で我慢している者たちの憎悪に全く無頓着であるとしたら、喫煙者たちの無神経さは己の口臭に気付かない人の無神経さに似ているとは思いませんか?

 歩行中に、前を行く人が歩きたばこを始めたときなどは最悪です。吐き出された煙が喘息持ちの私の気管支を刺激して発作を誘発するのです。にわかに咳き込んで痰の始末に困りながら、私は前行く人を加害者として認識しますが、当の加害者は、まさかそんな被害を他人に与えているとは思いもよらず、吸い終えた吸殻を側溝の蓋の隙間に落とします。道路を汚すのをはばかってのことでしょうが、暗渠に落ちた吸殻の除去の方が恐らく数倍厄介に違いありません。その種の迷惑に全く想像が及ばないとしたら、これもまた自分の口の悪臭に気付かない無神経さに酷似していると思うのです。

 喫煙者には厳しいことを書きました。

 喫煙する「人」を憎んでいるわけではありません。たばこをやめられない親しい友人はたくさんいます。ただ、煙のにおいが苦手な者から見ると、喫煙が如何に奇異で独善的で迷惑な行為であるかということを訴えたかったのでした。ある本に、スーツにスリッパを履くのはファッションとして奇異で、世界中どこへ行ってもそんな恰好を目にするのは日本だけであると書かれていました。確かにそうだと気付いてからというもの、私はスーツを着たときは恥ずかしくてスリッパを履けなくなりましたが、同じように、この文章を読んで、たばこの煙は『口臭』であると認識した読者の一人でも二人でも、人前での喫煙と決別する人があれば、嬉しいことだと思うのです。