ラッキーペンシル

平成20年11月23日(日)

 どこかで聞いたのか何かで読んだのか、すっかり忘れてしまいましたが、大変印象に残っている話があります。

 トオルはとても手先の器用な高校生でした。彼はナイフで鉛筆を加工して、斬新な模様のオリジナル・ペンシルを作りました。それがクラスで評判になって、自分にも作って欲しいという親友のアキラの求めに応じて、トオルは同じ模様の鉛筆を彫りました。アキラがクラスで自慢すると、ぼくも、わたしもと、たくさんのクラスメートが鉛筆を持って頼みに来るようになり、気のいいトオルはせっせと模様を彫るのですが、隣のクラスからまで依頼が来るに及んで、アキラが言いました。

「たくさん彫って、一本十円上乗せして売ろうよ。まとめて買えば鉛筆だって安く仕入れられるし、このデザインは十円の価値はある」

「無理だよアキラ。第一、まとめて買うおカネがない」

「おれがみんなから集めるよ。出してくれた人には儲けの三割を金額に応じて分ければいい。おカネを出すだけで儲かるんだから、みんなきっと喜んで出すさ」

「しかし、ぼく一人で彫るのは限界があるよ」

「器用なやつ募って彫り方を教えるんだよ。売るのはおれに任せてさ」

「よし、面白そうだ。やってみよう。そうと決まれば忙しくなるぞ」

 これが資本主義、つまり、株式会社の原型だというのです。トオルとアキラは創業者、カネを出した級友たちは株主で、トオルに教わって一緒に鉛筆を彫る仲間は従業員です。

 ここからは創作です。

 思惑どおり、鉛筆は売れました。

 買った人は素敵な鉛筆を手に入れて幸せでした。創業者も株主も従業員も収入が増えて幸せでした。何よりも自分が彫った鉛筆で人が幸せになるという実感は、彫る者たちの生き甲斐になりました。やがて自分も彫らせて欲しいという仲間が増えると、クラスメートから集める金額だけでは十分な鉛筆が買えず、銀行からまとまったおカネを借りました。彫れば彫るだけ鉛筆は売れるので、銀行は金利を目当てに喜んで資金を貸してくれました。ここまでは、資本主義は人々を幸せにする装置のように見えました。しかし、ある時アキラが得意そうに一人の男を連れて来た瞬間から資本主義が変質をし始めるのです。

 男は抱えてきた荷物を開けると、中から鉛筆削りのお化けのようなピカピカの機械を取り出して言いました。

「鉛筆、すごい人気のようですね。手彫りでは効率が悪いので、機械を開発できないかとアキラくんから相談されて作ってみましたが、いかがでしょう」

 それは小型ですがすごい機械でした。鉛筆をまとめて金属の箱に入れると、あっという間に模様が彫られて出てくるのです。人間が一本彫る間に、二十本は彫れるでしょう。

「でも…こんなスピードで作り続けて、果たして売れるかなあ…」

「この学校だけで考えていてはだめですよ。隣の学校にも、その隣の学校にも、大げさに言えば日本中の学校に支店を置くのです。そもそも鉛筆は消耗品ですから、大変な儲けになりますよ。必要ならコマーシャルだってすればいい」

「日本中ねえ…でも高いんでしょ?機械」

「おカネならいくらでも銀行が貸してくれますよ」

「そうだよ。とおるの鉛筆が日本中に広まっていくんだ」

「日本中かあ…」

 トオルの瞳が輝きました。

 二人は学校を退学して本格的に鉛筆の加工会社を設立し、それぞれ社長と副社長の名刺を作りました。銀行から借り入れをして複数の機械を買いました。手彫りの作業員を解雇した人数以上に各地に営業マンを雇いました。彼らに支払う当面の給料も、取りあえずは銀行からの借金でした。隣町の学校にも、その隣町の学校にも、鉛筆を売るための支店ができました。トオルの鉛筆は「ラッキーペンシル」という名前でどんどん売れて、銀行への返済も順調でした…が、一年もすると隣町の営業マンから電話が入りました。

「社長、大変です。うちのによく似た鉛筆が出回っています」

「え?」

 類似品があちこちで作られ始めると、ラッキーペンシルは見る見る売り上げが減りました。慌てて弁護士に相談しましたが、

「意匠登録がしてありませんからねえ…。対抗できません。それにこの種のものは、たとえ登録がしてあっても食い止めるのは難しいですよ」

 相談料は無駄になりました。

 やがて借金の返済が滞ると、銀行は次の鉛筆を仕入れる資金を貸してくれないだけでなく、期限までに全ての返済を終えなければ十台ある機械を全て差し押さえると通告して来ました。

「新しいデザインを考えます。そうすればまた売れるようになりますから、資金を貸して下さい」

 と必死にお願いするのですが、

「新しいデザインが売れるとは限りませんよ。売れればすぐにまた類似品が出ます。それにどこの学校も、これまで禁止していたシャープペンシルの使用を認めました。鉛筆の時代は終わったのです。私どもはラッキーペンシルの可能性に投資していたのですから可能性がなくなれば資金を引き上げるのは当然です。銀行も自分の身を守らなくてはならないのですよ」

 こうして、トオルの手元には借金だけが残りました。連帯保証人のアキラの元にも株主たちからの怒りの声が殺到しました。

 全てを失ったトオルとアキラは、毎月の返済に追われながら、昔を振り返ってはしみじみとつぶやくのです。

「幸せだったのは、みんなで力を合わせてせっせと自分の手で鉛筆を彫っていた頃までだったよなあ…」