均質という退屈

平成20年03月01日(土)

 隠岐の島、徳島、讃岐、大分…と、最近立て続けに遠方からの講演依頼がありました。遠方といえば、東京、大阪、神奈川、石川、群馬、和歌山、島根にも出かけたことがありますし、山形などは会場を変えて四年連続でお招きいただきました。新幹線が頻繁に猛スピードで往復しているのに加え、島と島とが海底トンネルや橋で結ばれて、要所要所に特急が接続しているために、飛行機を使わないでも、例えば午前九時に名古屋を出ると、昼前には讃岐に着いているという便利さです。

 日本列島は狭くなったのです。

 いえ、狭くなっただけではありません。大変均質にもなりました。

 列車が停車した感触でうたた寝から覚めて、まさか目的地では!と窓の外に目を凝らしても、駅名を書いた看板を見つけない限り、そこがどこだか判りません。この頃では旅なれて、とっさに外を見ないで車内の電光表示を見る習慣ができましたが、考えて見れば悲しいことです。いつだったか美術館で見た東海道五十三次の浮世絵は、宿場ごとの特徴が鮮やかでした。それが今では熱海も神戸も駅の様子は変わらないのです。

 降り立った駅の周辺にも均質という文明事情が展開しています。車内に貼られていた携帯電話の広告は、巨大看板となってビルの屋上から見下ろしています。お馴染みのコンビニ、英会話教室、旅行社、ハンバーグショップ、居酒屋のチェーン店が立ち並び、土産物屋の店頭には、味に大した違いのないパイや饅頭のたぐいが、ネーミングを変えて土地の名物になりすましています。アーケード街を、太腿も露わな女子高生と、限界までズボンを下げた男子高生が闊歩し、パチンコ屋からは、聞きなれた歌謡曲が漏れ、ブティックには流行の服が飾られ、化粧品屋にも薬屋にもスーパーにも、見たことのある商品があふれ、百円ショップに入ってしまえば、そこが名古屋だか大分だか分かりません。

 「通りゃんせ」の暗いメロディの横断歩道を渡ってホテルに入れば、はるばる大分までやって来たにもかかわらず、フロントの職員は美しい標準語で案内をし、部屋といえば、見ないでも図面が引けるような画一的な間取りの一角に、トイレ一体型のユニットバスがついていて、テレビをつけるとタモリが、にぎやかなタレントたちを相手に百年一日のようなやりとりをしています。

 均質もここまで進んでしまうと、便利であり安心であると同時に退屈です。はるばる遠くまで出かけても、期待するほどのわくわく感はないのです。

 その夜アーケード街をぶらついて、一軒の居酒屋に入りました。三十代と思しき難しい顔をした板前と、母親らしき二人で経営する和食の店でした。早い時間帯だったので、奥座敷に一組のサラリーマンたちがいただけで、カウンターには私一人きりでした。

 壁で掛け時計の秒針が時を刻んでいましたが、

「ん?あれって、影じゃないですか?」

 その一言がきっかけでした。

「あそこから映してるんですよ」

 板前が指差した天井の隅の黒い箱が、強力な光で時計を影にして映し出しているのです。

「へ~え、珍しい装置ですね。ご自分で見つけて来たのですか?」

「ええ。何でも自分らしく工夫するのが好きでしてね」

 この店もこつこつ自分で作ったのですよ…と言う意味が解らなくて、

「え?店を作るって?」

 聞き返す私に板前は包丁の手を休めて向き直り、

「椅子もテーブルも壁もカウンターも、これ、全部、材料買って来て自分で作ったんですよ。でもテーブルの板は失敗でした。よ~く見てください。少し反っているでしょ?」

「昔、大工やってたんですか?」

「いいえ、この子、こういうことが好きなんですよ」

 顔から気難しさが消えた若者を、三歳児を見るような目で眺めながら、母親が口を開きました。

 二歳で夫と別れ、女手一つで育てた一人息子は、中学卒業後板前修業に入り、今は妻のお腹で赤ちゃんが育っているのだという。

「立派にお店も持って、お孫さんもできて、お母さんも幸せですね」

 と言われて嬉しそうに笑う母親に、

「ちょっと困らせた時期もあったけどな…」

 若者は照れくさそうにそう言って、まな板に向かっていましたが、お客さん、これ、食べてみて下さいと、注文していない料理をカウンター越しに一品差し出してくれました。なかなか本音が言えない親子の、私が触媒になったのかも知れません。

 奥座敷から声がかかって、厨房はにわかに忙しくなりました。私はちびちび飲りながら、筆ペンを取り出して、店の商標になっている写楽の役者絵とロゴをメモ用紙に描きました。発見した母親がそれを壁に貼り、

「これ、ずっと貼っておきますから、こちらにいらした時は必ず寄って下さいねえ」

 絶対に営業トークではない言葉に送り出されてホテルに帰りましたが、ユニットバスを使いベッドに横になった私の胸には、わくわくするような大分の印象が定着していました。 もはや、均質を超えるのは「人」なのです。関係を引きずらない旅先の出会いであるだけに、扉を叩けばわくわくするような景色が広がっているのです。