カタカナ表記の目的

平成20年03月01日(土)

 友人が根を上げた文庫本が、

「結構売れてる本なんだけど、言葉が難しくて…」

 という弱音の解説つきで回って来ました。

 東京大学を出て別々の大学で教鞭を取る二人の教授が、メールのやり取りという形で様々な社会事象や哲学的テーマについて軽妙な考察を重ねる興味深い本なのですが、確かに随所に難解な用語が使用されていて、劣等感を伴う小さな怒りの処理に困る本でもあるのです。ここでいくつかの例を拾い上げて、読んでくださる人にも同じ劣等感を感じていただこうと思います。

サイバースペース上に設定されたヴァーチャルキャラクターである内田樹よりもずっとコミュ二カティヴな人物だからではないか』

『この内田樹氏は現実の私がしたり思ったり感じたりしていることのごく一部だけを選択的に経験し、その性格の歪みや偏りをことさら誇張したフィクティシャスなキャラでありまして…』

『漱石自身もどこかで自分の中のドミナントな人格要素を赤シャツに、一番抑圧されていた人格要素を坊ちゃんに託した』

『おれは断然こう思うんだよねと断言するときの思いのうちの、どれほどのものが状況や風土や階級やジェンダーやハビトゥスに起因するものであり、どれほどのものがおれ自身に由来するものであるのか…』

『そもそも他者というのは××という意味なのであると断言した瞬間に、いま語られようとしたなにものかは他者性を剥奪され、もはや他者ではなくなってしまうというアポリアを考えたら、うかつにこの言葉を口にするのは気が引けるはずなのですが…』

『椿三十郎も私のフェバリット・フィルムの一つです』

『去勢というのは、おちんちんをちょんぎることですが、エティプスを通過させるために父が子供を恫喝するときに常套的に用いられるメタファーです』

『日本社会の価値と意味のレフェランスは母です』

『その意味で日本では母が未来の意味でのソーシャライザーであったのです』

『このリジッドな生活設計・プロモーション戦略の達成によって、事後的に子どもとして承認されるということになります』

『巧緻をきわめた演技と演技のあいだに、瞬間的に素にもどって、それがただの芝居でしかないことを私たち観客に目配せで報せる、というアクロバシーを演じる点にあります』

『自省するとは、ある絶対的に安定したクリアカット的な眺望を持つ視座に立つ、という静止的な状態のことではなく、複数の視座を往復する運動のことだと私は思います』

『それは画家がときどきキャンバスからステップ・バックして、自分が描きつつある箇所を含んだ絵の全体を見るのとよく似ています』

『そのような物語のオーバードースによる感性と言語の惰性化に対しては、私はいささか警戒心を抱いております』

『外向けのペルソナが硬化してしまうと、家の中でもいばることになりますが』

『これを見て感心したのは、まずレスペクトディセンシーをたたき込む、ということです』

『旧制高校的エートスアプレゲェルノンシャランスアマルガムであるのんちゃんは、小津映画の中でも私がとりわけ好きなキャラクターの一人であります』

『ほとんどプライバシーというものがない環境の中で、そのコアとなるべきインティメイトプリミティブな夫婦の結びつきをなんとか奪還しようとする佐竹茂吉の悪戦ぶりを描いています』

『茂吉が夫婦のインティマシーの成立に成功し』

『操作概念というのは、それを使うとカオティックな状況が秩序づけられたり』

『インターネットと学術的プライオリティの問題』

『哲学的思考はあらわにシーケンシャルなかたちで深化するものだからです』

『シーケンシャル・アクセスという思考の回路が人間にとって有意なものであるかぎり』

デジタルメディア的文化は、リニアといってもいいかと思いますが、ランダム・アクセス的であるということは、情報革命をめぐる論議の中で、さかんに言われてきたことです』

『私はアクセス・フリーの学術情報のアーカイヴが有用なものであることにはまったく異論がありません』

 どうですか?

 私が無知であるだけのことかも知れませんし、本はこれらの言葉を難解とは思わない人々の間で読まれているのかも知れませんが、せっかく頂いた本ですから、難解な単語が出てくる度に電子辞書で調べながら読み進むうちに、カタカナで書かれた言葉を英語に直して英和辞書を引いているわが身がふと滑稽になりました。そして、わざわざたくさんの文字数を使ってカタカナ表記の外国語を用いる目的はいったい何だろう…と素朴な疑問を感じたのでした。

*  *  *  *  *

 せっかくですからご紹介したカタカナ語の意味を書いておきましょう。

サイバースペース コンピューターネットワークなどの電子メディアの中に成立する仮想空間

バーチャルキャラクター 仮想人格

コミュニカティブ 話し好きの

フィクティシャス 架空の、うその

ドミナント 最も優勢な、支配的な

ハビトゥス 習慣

アポリア 難関

フェバリット・フィルム 好きな映画

エディプス 男児の母親への愛着と父親への敵意

メタファー 隠喩、暗喩

レフェランス 関連、関係

ソーシャライザー 社会化を行う人

リジッド 厳格

プロモーション 販売促進

アクロバシー 該当語なし

クリアカット 明確な

ステップ・バック 一歩下がって

オーバードース 大量摂取

ペルソナ 人格

レスペクト 尊敬

ディセンシー 礼儀

エートス 性格

アプレゲェル 新芸術運動

ノンシャランス 無関心

アマルガム 融合

インティメイト 親しい様子

プリミティブ 自然な

インティマシー 情交

カオティック 該当なし

プライオリティ 優先権

シーケンシャル 順次、逐次

シーケンシャル・アクセス 記憶装置へのデータの入出力を記憶場所を順次たどって行う方式

デジタルメディア 信号方式情報媒体

リニア 直線的

ランダムアクセス 記憶装置へのデータの入出力を無作為に行う方式

アクセス・フリー 接触自由

アーカイブ 大規模デシタル資料

 注意(ここでルー大柴の「トゥゲザーしようぜ」を思い出したりしないでくださいね。東大出身の偉い先生たちがコメディアンに見えてしまいます)