労働と感謝

平成20年03月04日(火)

 絶滅寸前の海洋民族の生活をNHKが取材して放送しました。

 ミャンマーの海で舟上生活を続ける核家族は、驚異的な潜水能力を持つ父親が海底から捕ってくる魚介類と、ナマコの干物を市場で交換して手に入れる米を食料にして暮らしているのですが、三人目の子供がまだ乳飲み子なので、市場では米の他に粉ミルクも手に入れなければなりませんし、舟に取り付けたスクリューを回す油も買わなくてはなりません。二人の男児は父親に漁を教わり始めたばかりなのですが、重い貝を海底から運び上げるにはまだまだ腕力が不足していますし、泳いでいる魚をモリで射止める技術も未熟です。二人の子供の表情からは、自分たちのできないことを易々とやってのける父親を尊敬し、早く父親のようになりたいと願っている様子が窺えます。本来、子供たちは、このようにして大人を尊敬したのですね。

 ところが最近、海底から獲物の姿が消えるようになりました。ミャンマー政府が国家の方針として漁業に力を入れたために、大型漁船団が底引き網を使って海底の獲物をさらって行くのです。映像は、大量の水揚げに沸く漁船の様子と、必死に獲物を探す父親の姿を交互に映し出します。漁船団が去った後の海底は、移転した工場の跡地の様に荒れていました。場所を変えて別の海に潜ってみても、父親の目の前には荒涼とした砂地が広がるばかりです。特に中国市場で商品価値の高いナマコが捕れなくなると、米はもとより乳飲み子のためのミルクが手に入りません。その上、漁船団によって大量のナマコが市場に出回れば、父親が素潜りで懸命に捕獲するわずかな量のナマコの価値は下がるのです。それは、経済というシステムが自給自足という慎ましい生き方を正に飲み込もうとする現場でもありました。

「もっと精を出してナマコを捕りな」

 市場では強気の商人が父親の持ち込むナマコの干物を買い叩き、

「悪いが米はこれだけだよ。不服ならナマコを持ち帰っとくれ」

 いつもより格段に少ない米の袋を差し出しました。父親は困ったように笑って受け取るしかありません。来る日も来る日も海に潜って懸命に漁労を営む善良な父親の方が、商品を右から左に動かすだけのくわえタバコの横柄な男よりも、圧倒的に貧しく弱い立場なのです。わが国にもかつて士農工商という身分制度がありましたが、最も卑しい職業とされていた商人が、結果的にはどの職業よりも巨額な富を蓄えて社会に君臨したように、わずかに米と油と粉ミルクを手に入れる目的で経済システムに参加したとたんに、第一次産業従事者は第三次産業従事者に支配を許してしまうのです。

 乳飲み子が風邪を引きました。栄養不足の乳飲み子が舟の上で病気をすればひとたまりもありませんでした。

「これまでも、こうして何人も赤ん坊を葬りました」

 小さな海辺の墓は花で飾られ、一緒に海に潜るのを楽しみにしていたと、二人の兄が目を泣き腫らしていました。

 年に一度の収穫祭は海亀を捕獲するところから始まりました。名人を自負する男が苦労して捕まえた巨大な亀を丸焼きにして海の神に捧げたあとは、燃え盛る焚き火を真ん中に、その肉を分かち合って感謝の宴が始まります。炎に照らし出された顔が、いい顔をしていました。ただ嬉しいだけの顔ではありません。生き物としての不安も悲哀も畏れも安堵も丸抱えにした上で、共に焚き火を囲む瞬間を感謝し合う、奥行きのある表情でした。

 干物にするくらいしか保存の手段を持たない彼らは、毎日、必要な量だけ海の生き物を殺して命をつないでいます。獲物の捕れない日がひと月も続けば、家族は飢えて死ぬしかありません。自分の命が他の生き物の死と直結しているという残酷な事実についての自覚は、自分をも含めた命全体の循環を絶やさないでいてくれる大いなるものに対する畏れや感謝や連帯感となって祭りの夜を焦がすのです。

 大型漁船団の乗組員たちが、同じ感謝を海に捧げているとはとても思えません。底引き網で大量に捕獲した収穫物を貨幣に替えてコーラやテレビを手に入れる彼らにとって、魚や貝は商品に過ぎません。自分の命は貨幣が支えていると錯覚したとたんに、人は畏れからも感謝からも遠ざかります。彼らには大漁を喜ぶ笑顔は作れても、海洋民族が祭りの夜に見せたような表情はできないのです。ましてや、殺戮を他人に任せて、白いトレーに乗った肉や魚をスーパーで手に入れる生活に慣れた私たちはなおさらです。

 昔、日本にもあれに似た表情を見せる大人たちがいたぞ…と記憶を巡らすと、稲刈りあとの畦に腰を下ろして煙草を吸うお百姓であり、壁土をこねたスコップの柄に顎を乗せて休息する左官職人であり、根が生えたように終日あぐらをかいて太い針を操る畳職人であり、小気味いい音を立ててカンナの刃を調節する指物師であって、決して教員や、銀行員や、警察官や役場員や呉服屋のあるじではありませんでした。自給自足の海洋民族とまでは行かなくとも、労働と生活が直結しているという実感が持てる職業は、職人が限界なのかも知れません。

 幸福と感謝が不可分の関係であるとしたら、労働と生活の間に距離ができればできるほど想像力を逞しくして両者の距離を埋め、自分を生かしてくれている大いなるものに対する感謝の念を想起する努力なり教育なりをしなければ、物質的な豊かに反比例して、シンプルな幸福からはどんどん遠ざかってしまうように思うのです。