徒労

平成20年03月05日(水)

 方向音痴と機械音痴とは同じ根っこでつながっているのでしょうか。ナビの案内に従っていてもよく道を間違える私は、機械が人一倍苦手です。そのくせ好奇心だけは旺盛で、何かが壊れるとすぐに分解して原因を探りたくなります。子供の頃は、ブリキの時計を分解してはよく後悔をしたものですが、その種の習癖は大人になっても改善されないものらしく、過日もミルが動かなくなったパーコレーターを意気揚々と分解し、二度と組み立てられなくなりました。実はコーヒーを漉すサイホンのスイッチと、豆を挽くミルのスイッチを間違えていたことに後になって気がつきましたが、ときすでに遅しです。そこそこの値段で買ったパーコレーターは、無惨な部品の群れと化し、バラバラ事件の被害者よろしく不燃物の袋に入れて捨てられてしまいました。

 先日は最も恐れていたパソコンが壊れました。終了をクリックしても一向に電源が落ちないことに苛立って、コンセントを抜いたのが発端でした。次に立ち上げると、画面には英語の文章がずらりと並び、判読ができません。強制終了のキー操作を繰り返してみても全く変化がないことを悟った私は、再びコンセントを抜きました。コンセントを抜きさえすれば、何もかもが無かったことになると期待するのが機械音痴の悲しさなのですね。複数の指示は機械を混乱させるのでしょう。電源を入れても全く改善の兆しはありません。分解して原因を調べられないものかと、機械の裏側を覗いて見るのですが、本体から伸びるコードの種類だけでもまるで迷路のようです。

(これを分解したら取り返しがつかないことになる…)

 さすがに私にもそれくらいの判断はできました。しばらくは途方にくれて、英語のメッセージの末尾で点滅するカーソルを眺めていました。こうしている間も重要なメールが入ったかも知れません。ホームページに書き込みがあったかも知れません。すると突然、カーソルの点滅がパソコンの苦しげな息遣いのように思えて来ました。パソコンは病気になっているのです。病人は注射を打てばすぐに治るものではありません。安静が必要なのです。

 よし!

 私はもう一度だけ電源を抜いて、悪い電気の流入を絶ち(悪い電気というあたりが愚かしいですね)、今度は焦らないで一日たっぷりと機械に休息を与えました。

 ところが、翌日はさらに深刻な状況に陥りました。画面が反応しません。ディスプレーは死んだように真っ暗なままなのです。いよいよ観念した私は、コンピュータに詳しい友人に携帯電話で救援依頼を出しました。豊臣家の血筋を引いているかと思うほど立派な名前を持ちながら、雰囲気がユースケ・サンタマリアというタレントに似ているために、仲間内では「ゆうすけ」と呼ばれているその若者は、

「仕事が引けてからちょっと寄りますね」

 夜の十時に駆けつけてくれました。

 ゆうすけは、ほとんどプロでした。

 想像されるあらゆる原因を順序立ててつぶしたあげく、手際よく本体のカバーを開けてコンピュータの心臓部のホコリまで掃除しましたが、画面に変化はありません。

「なべさん、これは何らかの原因でディスプレーが壊れたとしか考えられませんよ」

 本体の型も旧いので、これを機会に新調したらどうかと提案されて、私は快諾しました。

「しかし、新しいのが来るまでパソコンが使えないのは困るでしょう?」

 ゆうすけの親切は本物でした。

 応急にテレビ画面とつないでおきましょうと端子を調べ、

「確か職場にケーブルがありましたから、ちょっと取ってきますね」

 わざわざ車で出かけて行って戻って来たのが十一時半を過ぎでいました。

「こんな時間になっちゃって…」

 申し訳ない申し訳ないを繰り返しながら身体を屈めて作業するゆうすけの背中をなす術もなく眺めながら、私の方が申し訳ない気持ちで一杯でした。午後から出勤の私と違って、ゆうすけの朝は早いのです。とにかく日付が変わらないうちに何とかしましょうと張り切ったにもかかわらず、ケーブルでつないだ画面は乱れ、解析度を下げても正常には立ち上がらず、結局、文書作成だけに使用していた古いノートパソコンをメールの送受信ができるように設定し終えたのが一時過ぎでした。

「ふう…ま、とりあえずメールができればいいですよね。後は元どおりにして帰りますが、コードの始末は暇な時に自分でぼちぼちやって下さいね」

 ゆうすけが本体にディスプレーをつないだ時です。

「!」

 突然電源ランプが点いたかと思うと、何と、画面がおもむろに立ち上がったではありませんか。

「え?」

「ウソ!」

「なべさん、オレ、最初にコードの接触を確かめましたよね」

「確かめた、確かめた」

「でも、結局、接触不良だったてことですよね…」

「…」

 茫然自失という状況を二人一緒に体験した瞬間でした。

 床で、もつれたコード類が三時間を越える悪戦苦闘を物語っていました。

「おれ、何やってたんでしょうね」

 徒労を自嘲しながら、ゆうすけは深夜の道を帰って行きましたが、私は全く別の感慨を胸にゆうすけを見送っていました。パソコンごときは修理屋に頼めば何とでもなりますし、直ったところで感動する訳ではありませんが、半世紀以上生きて来て、これほど鮮やかに目の前で「誠意」という徳目が展開されたのははじめてのことでした。

 ゆうすけの努力は決して徒労などではありません。彼は三時間かけて自分という人間の誠意を表現していたのです。