肉離れ

平成20年05月17日(土)

 メタボ防止がやかましく言われる時代になりましたが、それ以前に私は体重をひと月で一気に七、八キロ落とすことに成功しました。高血圧、高脂血症、高血糖…。持病の喘息に加えて、年に一度の健康診査の結果が示す暗黒の将来を回避するには、何よりも体重を落とすのが第一と考えたからです。

 かつて早朝四キロのウォーキングに挑戦して一週間ほどで挫折したのに続き、高価な電動ルームランナーを物干し台にしてしまった忌まわしい過去を持つ私が自分に強いたのは、片道一時間の徒歩通勤でした。運動の継続が自分の意思ひとつに委ねられているこれまでの方法と違って、通勤には悲壮な義務感が伴います。少しでも遅れればタイムカードが正確に遅刻を刻印して、勤務上の汚点として記録に残すのです。タイムカードは実に有能なトレーナーでした。遅刻するぞ、遅刻するぞ、という無言の声に背中を押されながら、早足で歩き続けてひと月あまり…。ウォーキングシューズの磨耗と同時進行で見る見る体重は減り、血液検査の値も嘘のように正常に戻りました。衣服を全て一回り小さなサイズに買い換えて、軽々と階段を駆け上れるようになると、不思議と気持ちまで若返りました。

 日常ではほとんど車というものを使わなくなった私が、自転車に乗って名古屋の中心部まで買い物に出かけた時のことです。見知らぬ裏通りばかりを選んで走る目の前に、そびえる様な上り坂が出現しました。しかし、すっかり若返っている私の気持ちは、怯むどころか却って闘志を燃やしました。

「よし!」

 どうだ、とばかり懸命にペダルを漕いで上りきった時には疲労よりも達成感の方が勝っていましたが、年を取ると筋肉痛はゆっくりとやって来ます。数日後、歩行時に鈍痛を覚えて触って見ると、両のふくらはぎがよく熟れた茄子のように腫れていました。この段階で大事を取るべきところを、気力で乗り越えようとするのが年寄りの冷や水なのですね。次の日も、その次の日も往復二時間を歩いて通勤した帰り道、自宅近くの横断歩道を渡り始めたとたんに信号が点滅し始めました。咄嗟に私は、引き返すのではなく全力で疾走しました。いえ、正確には疾走したつもりでした。突然左のふくらはぎでブチッという小さな音がして、私はのめるようにその場にうずくまりました。激痛で立つことができません。信号が赤に変わりました。たくさんの車のヘッドライトが一斉に近づいて来ます。命からがら後ずさり、歩道に身を寄せた私を嗤うように、今度はポツリ…と雨が降り始めたのでした。


 翌朝、整形外科を受診すると、診断名は肉離れでした。

「肉離れ…ですか」

「身体は五十代なのに頭は三十代の人。そういう人がこういう怪我をします」

 新しい繊維ができるまで、そう…ひと月半はかかりますよ…と言われて貸し出された松葉杖を手に、私は猛省しました。頭と身体は調和が取れていた方がいいのです。だから、お前はもう子供ではないのだぞという自覚を促すために成人式があり、お前はもう年寄りなのだぞという自覚を促すために赤いちゃんちゃんこを着るのです。

 還暦まであと三年を切りました。

 暴飲暴食、過度の運動、若い人に付き合っての夜更かし、カラオケ、炎天下の長時間歩行…。初老期の肉離れは「精神の肉体離れ」から発生するのだと気づけば、今度のことはいい戒めです。ヤングエイジングも結構ですが、衰えて行く肉体を上手に使いこなす精神を宿してこそ熟年と言えるのでしょう。そして、松葉杖体験の悲喜こもごもについては、いつか稿を改めて書きとめてやろうと、歩行中両手の使えない不自由を思い知りながら密かに考えているのです。