大判小判

平成21年01月21日(水)

 たまたま出かけたデパートの催事場で、世界の貨幣展を開催していました。最近私は江戸の暮らしに関心があって、本物の小判と一分金というものをどうしても見たいと思い、最上階へ向かいました。小判はどんな大きさで、どんな色をしているのでしょう。四枚で一両になるという一分金は、やはり小判の四分の一の大きさなのでしょうか。

 世界の貨幣展といっても、会場には古銭を扱う営利目的の複数の店舗が、男女二名ずつの販売員を配置してブースを出していました。それぞれのショーケースには、大判小判を初めとする保存状態のいい古銭が宝石のような扱いで並んでいました。小判の価値は時代によって様々で、少ないときは八万円から、多いときは三十万もした時期があったようですが、複数のブースのショーケースに展示してある小判はおしなべて二十万円の値札がついていました。生きた貨幣として流通してはいないものの、古銭としての小判が、江戸の昔の貨幣価値とそんなに変わらない価格で売買されている事実が不思議でした。

 あるブースで、刑事のようなコートを着た三十代後半と思しき男性が、ショーケースから取り出した二枚の小判を前に、店員とやりとりをしていました。どうやら男性がどちらかの小判を購入しようとしているようです。さりげなく近寄って値段を見ると、小判は二枚とも他の店より一万円安い、十九万円の値札がついていました。

「こちらは状態がいいですよ。この辺りの光沢は、ほとんど当時のままでしょうね」

「…」

「こちらは、ほら、刻印が鮮明です。ま、こっちと比べると、光沢は微妙に劣りますが、どちらも間違いなく未使用、新品ですよ」

「…」

 あとは好みですね、と言われた男性が、二つの小判をじいっと睨んでいる傍らで、

「ちょっと…触っていいですか?」

 店員が頷くのを待たないで私は小判の一方を手に取りました。

「これって、全部、キンですよね?」

 小判を無邪気にひらひらさせる私を、

「あ、そんなに振らないでくださいね、曲がりますから…」

 若い店員は困ったようにたしなめて、

「天保のものですから、慶長や享保の頃のに比べると、銀がかなり混じっています」

「へえ、そうなんですか…」

 私はそっと小判を赤い布の上に戻し、貴金属としても十九万円の価値があるのかと尋ねました。

「ありませんよ」

 即座に答える店員の顔に、一瞬、何も知らないやつめという表情がよぎりましたが、

「…ということは、投機の対象になるということですか?」

 ひるまずさらに質問すると、今度はコートの男性が答えました。

「コレクションですよ。つまり、好きなんですね、古いおカネが」

 そして、

「子供の頃、親爺に一文銭をもらいましてね。今思えば、それがきっかけだったような気がします。古銭を持っているからって、何になるわけじゃないんですが、時々無性に欲しくなるんですよね」

 もう随分集めましたよ、と笑う顔は、少し照れくさそうでした。

 茶封筒から取り出した一万円冊を十九枚、丁寧に数えて店員に渡し、光沢のいい方の小判を購入する男性を眺めながら、私は人間の不思議を思いました。

 小学生の頃、祖父から作文を誉められたのをきっかけに文章を書いている私の心にも、父親から一文銭をもらったのをきっかけに古いおカネを集めている男性の心にも、同じ種類のスイッチがオンになっているような気がしたのです。