大分珍道中

平成21年10月25日(日)

 大分県から二千人を越える規模の講演依頼がありました。幸い日程は空いていましたし、飛行機に乗るのも久しぶりです。何よりも、二千人規模の聴衆に向けてお話しする経験は初めてでしたから、喜んでお引き受けしました。新幹線のチケットと同時に、伊丹空港からの航空チケットが送られて来るものと思っていたら、何やら長い番号の記された一枚の説明書が同封されていて、これはチケットではありません…云々と、老眼には読みづらいサイズの文字で面倒なことが印刷してありました。

(要するにチケットは別便で送られて来るんだな!)

 早合点して一旦は紙をごみ箱に捨てたものの、待てよ、航空チケットだけ別便などということがあるものかと思いなおして読んでみると、空港で予約番号を機械に打ち込んでチケットを手に入れる仕組みなのでした。危ない危ない…年を取ると、自信を持ってこういう失敗をするのです。

 伊丹空港を午後五時十五分発のフライト予定でしたが、せっかくですから早めに大分に着いて会場周辺を見学しておけば、翌日の講演の導入部分にきっと役立つだろうと思い、珍しくスーツを着込んで十時過ぎに名古屋を出ると、近いものですね、新大阪にはお昼前に着きました。リムジンに乗ってしまえば三十分足らずで空港です。とりあえず中途半端な空腹を満たしたくて、プラットホームにある立ち食いそばの店に入ると、列車を待つ間に昼食を済ましてしまおうという背広姿のサラリーマンたちで店は混み合っていました。あいにく財布は一万円札ばかりで、小銭入れには百円玉が三つと一円玉が数枚しかありません。自動券売機は一万円札も使用可能でしたが、そばごときで万札をくずすのはしゃくだという気持ち、わかりますか?少し迷って、結局、三百円のかけそばのボタンを押しました。

 カウンターの一番隅に立って券を出すと、

「かけそばワン!」

 お前は犬か、と言いたくなるような声を出して素早く券をさらったおばちゃんが、引き換えにコップ一杯の水を勢いよく目の前に置きました。

(大きな声を出さないでよ、スーツ姿の中年男が、かけそばじゃ、みっともないだろ)

 辺りを憚る間もなくでした。

「はい、お待ちどうさま!」

 出て来たそばには、何と、掻き揚げが乗っています。

(へえ~、大阪のかけそばには掻き揚げが付くんだ!)

 一味唐辛子をたっぷりと振って、一口、二口そばを啜った時です。

「あの、おれ、掻き揚げなんだけど…」

 反対側の隅の男の不満そうな声がしました。

「あ、そうでした、うっかりしてました」

 ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も謝りながら、男の鉢に慌てて掻き揚げを乗せたおばちゃんが、鋭い目でちらっと私を見たような気がしましたが、私はことさら顔を伏せて懸命にそばをすすりました。

 タイミングってありますね。

「ん?おれ、かけそば頼んだのに掻き揚げが乗ってたから、変だなとは思ったけど、食べちゃったよ。やっぱり間違いだったんだ、悪かったね。掻き揚げ分のカネ、払おうか?」

 すかさずそう言えば、

「いえ、こちらが間違えたのですから、お気になさらないでください」

 恐らくそれで済んだことでしょう。ちょっとしたタイミングを逃したために、あとはひたすら喉に啜りこむだけの、味のわからないそばになりました。リムジンに乗ってほっとすると、上顎に違和感がありました。機上の人になってからも、火傷した粘膜がしきりに舌に剥がれ付いて、何とも居心地の悪いそば屋でのひとときが蘇るのでした。


 伊丹空港は南北に大きく両腕を広げたような構造になっていました。フライト予定時間より五時間も早く着いたのですから、慌てることはありません。ゆっくりと南ターミナルから入った私は、例の予約番号でチケットを手に入れる手続きをしなければなりませんが、モデルのようなメイクをして颯爽と背筋を伸ばす制服姿の女性職員というものには、気軽にものを尋ね難い気後れを感じるものですね。

「あの…こういうの初めてなんですが、航空チケットの代わりにこんな用紙が送られて来たものですから、どうしたらいいか…」

「あ、これはJALですね、北ターミナルでのお手続きになります」

 南はANA、北はJALと、ターミナルは航空会社で分かれているのです。早まった思い込みで予約番号の用紙をごみ箱に捨てたように、へえ、入り口が二つあるんだ…ぐらいのつもりで南ターミナルへ向かった軽率の酬いは、長い長い移動距離でした。空港の端から端ですから、その距離たるや新幹線のプラットホームの比ではありません。ふと見れば。空港の正面にはちゃんと矢印でその旨が表示してあったのに、逸る気持ちは注意力を削いでしまうのですね。しかも手に入れたチケットをカウンター嬢に見せて、

「できたら早く出かけたいと思うのですが、空席があれば変更していただけませんか?」

 緊張して尋ねる私に返ってきた答えは、世にも非情な内容でした。

「申し訳ございません。お客様のチケットは早割り料金となってございますので、このように、出発時間のご変更はできないことになっております」

 なっておりますと言われた通り、なるほど指で差されたチケットの端には、小さな文字で、グレードの変更は可能でも、フライトの変更はできない旨の注意書きが印刷してありました。

 それから五時間・・・。

 いいですか?五時間ですよ。

 私は今でも伊丹空港の内部については、赤穂浪士が手に入れた吉良邸の見取り図の様に、かなり詳しく描くことができます。南北のターミナルを貫いて並ぶ土産物の店や飲食店の前を所在無げに行ったり来たり、行ったり来たり、ベンチに座って読書をしたり、デッキに上って飛行機の離着陸を眺めたり、○○カードへの入会を執拗に勧める女性につかまったり…と、私が空港の警備員なら、あの間の行動はきっと怪しんで密かに公安に通報したに違いありません。ようやくフライトの案内が流れた時には、外には夕闇が下りて、私は誰よりも早く大分行きのプロペラ機に乗り込んだのでした。


 飛び立つ時は眼下に広がる光の海に感動の息を呑んだ伊丹空港と打って変わって、大分空港に降り立つ時は、戦時中の灯火管制もかくやあらんと思わせるほどの闇の中で、別府市内のホテルまでタクシーで延々五十分。狭い空間で初対面の男同士が沈黙して過ごすには余りに長い移動時間です。

「最近は湯布院にすっかり客を取られてしまいましてね、別府は淋しいもんですよ」

 運転手は饒舌でした。

 名物は関アジ、関サバ、それに城下カレイ、ま、海のものなら自慢できますね。関というところは海流が急でしてね、アジもサバも速い流れに逆らって、こう…必死に泳ぐものですから、身がしまってるんですね、要するに運動です。運動って大事ですよ。私らタクシーに乗ったら運転席に座りっ放しでしょ、肉はぶよぶよで、とても関アジにはなれません。城下というのはその昔、何とかという殿様の城が海辺にあったところからついた地名で、海底から真水が湧きだしていましてね、そこに棲息しているカレイは味が淡白で独特なんですよ、といっても、我々庶民の口にはとても入らない値段ですがね…と、運転手の案内は客を飽きさせません。

 湯は決して湯布院には負けませんと運ちゃんが自負しただけあって、ホテルの湯はぽかぽかと体の芯まで温まりました。着替えたものをカバンにしまい、ベッドに横になっても、まだ体が火照ります。三時間で切れるように空調のタイマーをセットして、テレビを消し、真っ暗になった部屋で翌日の講演の展開をイメージする私の耳に、かすかにジーッという機械音が聞こえました。

 ん?

 何の音だろうと起き上がって耳を凝らしましたが、音源が特定できません。音はくぐもって、天井の上から聞こえて来るようでもあり、隣の部屋から聞こえて来るようでもあり、ベッドの下から聞こえて来るようでもあるのです。しかし電源が入っているものといえば空調だけですから、恐らくタイマーの音に違いないと思い定めていつしか眠りに落ちました。

 目が覚めてカーテンを開けると快晴の空の下、右手には猿で有名な高崎山がそびえ、前方には別府湾の海が光っています。いざ二千人規模の講演だと張り切った私は、早速朝風呂に入って身づくろいを始めましたが、カバンから取り出した電気シェーバーが動きません。見ると、フル充電して来たはずの電池が空ではありませんか。

 犯人はこいつか!

 カバンをラックに置いた衝撃で、偶然スイッチが入ったのですね。シェーバーは、衣類に音をくぐもらせながら、カバンの中であらん限りの回転を続けていたのです。謎が解けるのは気分のいいものですが、ひげは剃らなくてはなりません。やむを得ず洗面所のT字カミソリを操ってひげを剃りましたが、心配した通り、皮膚の弱い私の顔の鼻から下は血だらけになりました。

 講演の導入部分で披露した一連のエピソードが思いのほか受けて、災いは鮮やかに福に転じた訳ですが、旅立ちから始まった珍道中は、大観衆が一度に笑う迫力と同時に、忘れ難い大分の思い出となったのでした。