巧妙なアパート経営

平成21年03月28日(土)

 昔、行政は公園のごみの多さに苦しんで、最初のうちはごみ箱を増やして美化を訴えていましたが、増やしても増やしても、ごみ箱はすぐにあふれ、そうなると大衆は、ごみ箱が一杯なのは行政の怠慢であるという大義名分を得てさらにごみを捨てるため、ある時、発想を転換して、公園から一切のごみ箱を撤去したところ、ごみを捨てる人は激減して公園がきれいになったというのは有名な話しです。

 これを医療費に適用したのが間違いでした。

 昔、行政は高齢者の増加とともに増える病人に対処しようと、最初のうちは病院と医師を増やして安心を確保していましたが、増やしても増やしても病院はすぐに病人であふれ、医療費の負担に耐えられなくなった行政は、ある時、発想を転換して、病院と医師の数を減らした上に、医療保険に長期入院を許さない仕組みを導入したところ、医療費の伸びは抑制されました。しかし、高齢者はごみではありませんでした。人は年を取れば病気になるのです。医師や病院を減らしたからといって病人は減りませんでした。鼻から栄養を入れたお年よりは、病院からは追い出され、福祉施設では対処ができず、かといって自宅で療養は難しいため、行き場を失いました。

 それをビジネスチャンスと考えた人がいたのです。

 鼻から栄養を入れた寝たきり高齢者ばかりを住まわせる専用アパートが建ちました。食事も介護も提供しない単なるアパートですから、有料老人ホームでも老人施設でもなく、行政の監督は受けません。お年寄りの部屋には、1ヶ月数万円という法外な値段のレンタルベッドが運び込まれました。貸し出しているのはアパートと同じ経営者が別に設立した福祉用具貸与の事業所です。訪問診療と訪問看護と訪問介護と訪問リハビリが、制度上許される限界まで利用されました。これまた同じ経営者が設立した別の事業所でした。おむつを初めとする日用品の持ち込みは禁止され、サービス提供者が特定の業者から調達することになっていました。家族は訪問診療を担当する主治医に対して、ここで最期を迎えたいので病状が急変しても病院には運ばないでほしいという内容の要望書を提出しました。全てはセットでアパートに入居する時の条件になっていました。

 こうして、外から見ると施設のようですが、法的には、寝たきり高齢者ばかりが在宅サービスを利用して住む民間アパートが誕生しました。医療費扱いのサービスについては重度障害者福祉医療制度を適用すれば自己負担は発生しませんから、まずは訪問診療を担当する医師の指示書に基づいて、訪問看護と訪問リハビリが医療保険を使って提供されました。もちろん介護保険からも限度額一杯のサービスが提供されて、計算すると、事業主には、一人月額百万円を超える金額の報酬が両方の保険、つまりは税と保険料から支払われ続けています。本人の年金は、介護保険の利用者負担に加えて、家賃や家族会費やおむつの費用などに消えて行きました。

 最近、どこだったかで、同じような寝たきり高齢者の専用アパートが火事になって何人かが亡くなりました。行政は、アパートの存在は承知していましたが、監督する権限がないという理由で放置していました。全国にはこのようなアパートがたくさんあるのでしょうね。

 そういえばアメリカでは、大きな病院の周辺に患者専用のアパートが建っていて、日本なら入院しているような患者でも、アパートから通院しているということを随分前に聞いたことがあります。日本でも、病院経営者が建てたアパートに患者が住んで、訪問診療や訪問看護を受けながら生活している例が身近に存在しています。それどころか、維持が困難になった病院を診療所に変更し、空いたベッドを賃貸住宅にして、同じ建物の診療所から訪問診療と訪問看護が行われるため、患者は入院しているのと変わらないという、まるで手品のような例も聞いています。

 いずれにしてもこれらの住居は、行き場のない高齢者の受け皿であることには違いありません。問題は内容です。行き場がないという弱みにつけこんで、カネ儲けの材料にされたのではたまりません。高額なレンタルベッドに寝かされて、収益目当ての訪問サービスを受け、そこで最期を迎える誓約書を書かされて、なけなしの年金を吸い上げられるのは、長年社会に貢献した人間の晩年の姿としては淋しすぎます。

 しかし国民が選んだ代表が、生活の最後の砦である医療と福祉の領域にまで経済のルールを適用することを選択した以上、是非もありません。寝たきり高齢者専用アパートの劣悪な現状を糾弾して社会から排除すれば、入居者は再び行き場を失うだけなのです。

 ちなみに国民年金しか収入のない高齢者がチューブにつながれれば、金額が折り合わなくて、そんなアパートにすら入居できないかも知れないことを付け加えておきましょう。