福祉を食い物にする人!しない人!

平成21年04月03日(金)

 私の地元、◎◎県△△市に平成元年から平成10年頃まで、一見すると少し大きめの普通のお家で自称ケアハウスという家がありました。近くにある養護老人ホームの主任寮母だった方が、ご主人と一緒になって私財を投じた家でした。ケアハウスという名称でしたが内実は今で言う高専賃の狭いやつで、制度上はアパートという扱いになるのかは分かりませんが、高齢者共同住宅であったことは確かです。経営者夫妻はボランティアの力を借りながら、運営基準や最低基準といった制度に縛られることなく、自分たちの目指した理想に向けて頑張っていました。ご夫妻を頼ってそこで暮らす方々のために自分たちにできることを精一杯やる、それがご夫妻の喜びでもありました。

 そんなご夫妻の活動がやがて公の知るところとなり、何らいかがわしいところのない活動を評価した◎◎県と△△市から、「特別養護老人ホームの整備計画があるので、ぜひ法人を立ち上げて手を挙げてくれないか。病院の付属施設として金儲けの道具にちょうどいいくらいにしか考えていない医療法人にはやらせたくない。」と、ご夫妻に対して打診がありました。折しも時代はゴールドプランのまっただ中、特別養護老人ホームを始めとする老人介護の受け皿を「産めよ増やせよ」の時代でした。ご夫妻は迷いましたが、土地を提供してくれた地元の方を理事長として社会福祉法人を立ち上げ、50床の特別養護老人ホームと10床のショートステイと20床のケアハウスを造りました。その計画が進む中でご主人が亡くなり、奥さんは息子さんと力を合わせて施設を整備し、平成8年に施設はめでたくオープンしました。それでもその後しばらくは自称ケアハウスは閉鎖されることなく、数名の方が暮らし続けていました。新施設の施設長に就任した奥さんの給料は自称ケアハウスの運営経費に充てられましたが、奥さんにとってそれは自称ケアハウスが安定的に運営される喜ばしいことでした。


 やがて時代は介護保険制度下に移ります。まだ知らない介護保険の脅威が、法人のサイドビジネス的に存在していた不採算部門の閉鎖を促した結果、ご夫妻のささやかな夢の城は事業を一旦終了することとなり、住人たちは新施設に吸収されていきました。

 平成12年4月となり介護保険制度が施行されると、奥さんが施設長を勤める施設も当然に指定介護老人福祉施設になりました。制度の複雑な部分に対応し、経営の実権を握るのは事務長を勤める息子さんです。ところが従来の措置費よりもはるかに高く設定された介護報酬は、施設の経営を安定させる代わりに経営者の耳元で今までなら考えもしなかったことを囁き始めます。「この調子で行けばもっと儲かる。もっと贅沢ができる。もっと良い思いができる。今まで苦労ばかりしてきたんだからそろそろ自分にもご褒美をあげなくちゃ・・・。もう措置費の時代じゃない、従業員の給料だって行政の示した基準に従わなくたっていい、そこそこの仕事ができる人間を低コストで雇用することだって大事な経営戦略だ。そう福祉は運営じゃなく経営なんだ!」

 法人は事業の拡大路線を進み始めます。グループホームとデイサービスを新設し、ショートステイを増床し、ホームヘルパーをあちこちに派遣し始めました。新規事業を立ち上げると、働きたいという人たちは続々やってきました。ヘルパー2級の資格を取って介護の仕事をライフワークにしたいと思う人は、この頃はまだいっぱいいたのです。資格は取ったばっかり、当然業界経験はない、そんな求職者たちは低コストで雇用するにはうってつけの人材でした。そんなサイクルが徐々に落ち着いてきた頃、初めての介護報酬改定が行われ施設は大きな打撃を受けました。施設長は「事業が安定したら例の自称ケアハウスを再開させてやる」と言った息子である事務長の言葉を信じてきましたが、介護報酬のマイナス改定を受けた息子は「こんな報酬改定を受けて不採算事業の再開ができるわけないだろ!母さんももう少し経営者の自覚を持ってくれよ!」と言い放ちました。

 報酬改定を受けて事務長は早速、職員の賃金カットに手をつけました。まだまだ借金の返済を続けなければならない法人の選択としては、安易ではありますがあり得ないものとは言えない措置でした。昇級を抑さえられ、手当やボーナスをカットされた多くの職員が退職をしていきました。時代が進み、資格を持って経験を積んだ彼女たちには、転職先がいっぱいあったので、彼女たちも辞令の受け取りを拒否して勝負に出ることができたのです。その一方で、事務長の施設にも退職者を上回る求職者がやってきました。よその施設や事業所でも同じようなことが起こっていたのかも知れません。

 さらに時代が進み、二度目の介護報酬改定が業界を震撼させた頃、この法人の設立10周年記念式典が行われました。私も同じ△△市内の同業者ということでお呼ばれしました。事務長の施設がオープンした頃は市内の施設数もまだまだ少なく、職員もお互いに交流があったのですが、記念式典では10年前からいる職員は施設長と事務長だけになっていました。私も業界ではそこそこ顔と名前が売れているのですが、私を私だと認識して挨拶してくれた職員はいませんでした。

 施設長は挨拶の中で、法人立ち上げの裏話や施設経営の苦労はほとんどお話になりませんでした。彼女の話のほとんどは、決意を固めて養護老人ホームを退職したときのこと、自称ケアハウスを作ってご主人と一緒に夢を追いかけた頃のことでした。マイクの前に立って懐かしそうに語る施設長の表情は、言葉では表現のしようがないほど美しかったことを覚えています。

 その式典の後、3月31日付けで彼女は施設長を退任します。事務長の話ではアルツハイマー病になってしまったとのことでした。後任の施設長には事務長の同級生という薬剤師が就任し、事務長の片腕といわれた生活相談員が退職したことを知った頃までは、良くある話の一つとしてあまり気にもしなかったのですが、ケアマネが辞めた、デイサービスの相談員も辞めた、栄養士も辞めて、ホームヘルパーの管理者も辞めた話を聞いた頃には、そういえば最近は、業界の集まりにも事務長の施設の人は顔を出してないなあという状態になっていて、一体何が起こっているんだろうと自分の施設でもないのに心配していた矢先、前施設長が亡くなりました。葬儀は身内だけで行いますのでどうぞご心配なく、という通知が各施設に送られ、ますます???という状況でした。

 前施設長が亡くなってさらに半年ほど経った頃、事務長が退職したという情報が流れてきました。突然の退職でしたが理由は明らかにされず、新施設長も事務長に引っ張られてきた人だけにさぞかしやりづらいだろうにと思っていた頃、新聞に衝撃的な記事が載りました。

 「社会福祉法人○○会(前事務長の法人)に多額の使途不明金発覚!!」「前事務長が私的流用か?県 特別監査に乗り出す!」確かそんな見出しだったと思います。記事の内容は一字一句覚えているわけではありませんが、前事務長が法人の資金を私的に流用し、不正な会計操作をおよそ2年前から繰り返していたらしいということや、法人内部の人事を理事会にも諮らず勝手に行っていたこと、知り合いの薬剤師を施設長に据え、事実上は自分が一切の決裁権を握り、法人を私物化していた。それらに苦言を呈した幹部職員は逆に法人を追われ、その一連の流れに反発した職員たちが次々と退職したということまで書かれていました。どう見ても内部告発の典型例です。事務長のコメントとして「私的流用というのは見解の相違ですが、誤解を招いたとすれば申し訳なく思い、すでに一部をお返ししました。」という文章も添えられていました。


 すでに天に召されている前施設長夫妻は、事務長である息子のふとどきな行いをどんな思いで見ていたのでしょう。2年前からということは、前施設長はまだ現役の施設長であったはずです。筋から行けば管理監督責任は免れないところですが、きっとすでに事務長が一切の権限を握って、施設長には当たり障りのない報告だけを行っていたのでしょう。もしかしたらすでにアルツハイマーの病魔に冒され始めていたのかも知れません。職員たちも施設長がいたから告発をためらっていたのかも知れませんし、自分に苦言を呈した職員を辞めさせようとした事務長に対し、施設長が事務長の横暴を許さない姿勢を貫いていたおかげで、人材の流出が抑えられていたのかも知れません。

 つくづく「福祉は人」だと思いました。養護老人ホームの主任寮母として高齢者の理想の生活を夢見た母親と、その思いに共感し自称ケアハウスの運営に奔走した父親、そんな両親は自分たちの理想を継承する息子を育てることだけはうまくいかなかったのでしょうか?息子は両親に請われて福祉業界に入るまでは、抜群の売り上げ実績を誇る自動車のディーラーでした。「仕事は結果だ。どんな努力をしてもしなくても要は車がどれだけ売れたかが勝負なんだ。より多くの車を売り上げた人が評価されるべきだ。」前事務長は業界デビューした頃、よくそんな持論を話していました。母親は息子の理論が福祉の世界では通用しないことを教えられなかったのでしょうか?それとも夫を失って気弱になってるときだったからこそ、母親の話を戯言としか捉えず耳を貸さなかった息子であっても、力を借りたいと思ってしまったのでしょうか。10周年記念式典での挨拶は、息子の不正経理を知った上で、考え違いを正すための大一番だったのかも知れないとさえ思いました。


 つい最近、群馬県の無認可老人ホームで火災が起こり、多数の死傷者が出たことが新聞やテレビのニュースを騒がせました。建築確認すら行われないまま増築を重ねた無届けの施設には、スプリンクラーもなく、消防への緊急通報設備もなく、入所者を助け出したのは近所の方々でした。理事長の無責任さに世間の怒りとあきれが集中し、今さらながらに行き場のない高齢者の受け皿という課題が行政への批判という形で表現されています。

 私には、この理事長がこの施設を作ったときの思いは、最前の施設長が自称ケアハウスを作ったときの思いに近いものがあるように思えるのです。しかし、人間は理想だけでは生きていけません。入居者を確保し、安定収入を確保しなければ、無認可施設の経営はたちまち破綻してしまいます。行き場がなくて困っている人の受け皿が安定的に経営されるためには、絶えず行き場のない人をストックしておく必要がありました。そうした行き場のない方をすでに多数抱えて頭を悩ませていたのが、墨田区や荒川区だったのでしょう。どちらが先に声を掛けたのかは知りません。理事長が行政の窓口をまわって「営業活動」していたことは新聞にも書かれていましたが、入居者が少なくて理事長が困っていたときに、行政の方から先に「助けてくれ」といって、味をしめた理事長が営業活動を始めたのかも知れません。

 現在法的根拠を持って運営されている福祉事業のほとんどが、最初は必要を感じた誰かによって法整備のないまま始められ、実績が上がると同時に有効性が認められ、法律が後から追いついて形作られました。今回の無認可施設の件でいえば、現に高齢者専用賃貸住宅は法的に認められ、設備基準も運営基準も定められていますから、この施設が違法な存在であることは確かです。しかし法整備がなされた平成18年よりも前から、行き場のないお年寄りの受入を行っていた理事長が、ただの悪い人にはどうにも思えないのです。

 経営状態の苦しい時代を知っている理事長が、ふとしたことから県外の行政機関と手を結ぶことが経営安定化の近道であることに気づいてしまった。決して良からぬこととは知りながらついつい手を染めてしまう。最初は一つの区から1人だけ、次に同じ区からもう一人、噂を聞きつけた別の区の職員から頼まれて別の区ともお付き合いが始まって・・・、あまりに紹介数が多いので増築することにした、でも出発点が無認可だから今さら法律の適用を受けたら、既存の住まいまで違法建築扱いされてしまう。まっいっか、黙ってやろう!そんなことを繰り返してしまったのではないでしょうか?

 「理事長が悪い人だった」のでしょうか?「理事長が福祉を食い物にする輩だった」のがこの事件の根本原因なのでしょうか?ホームレスにするわけにもいかない身寄りのない人を、多少条件は悪くても預かってくれるという施設にお願いするこの職員の姿勢は、連日新聞で糾弾されなければならないほどのものなのでしょうか?

 今回の火災で10名の死者を含む多数の被害者が出ました。亡くなられた方には本当にお気の毒なことだと思いますし、心よりご冥福をお祈りいたしたいと思います。でもなぜか理事長を強く非難する気になれないのです。私の価値観ではこの理事長は、自称ケアハウスを作ったご夫妻の息子や、巧妙なアパートを作って福祉を食い物にしている人たちとは、何かが違うように思えてならないのです。そう信じたい何かがあるのです。特段の根拠はないですが・・・。