歳月

平成21年07月05日(日)

 ふっと懐かしい旋律が頭に浮かんで、何の曲だか思い出せないことってありませんか?歌詞があれば手がかりになるのですが、メロディーだけでは見当がつきません。

「ええっと…確か学生時代に毎週見ていたテレビドラマの主題曲で…」

 そうだ!森繁久弥が主人公だったと思い当たったとたんに、記憶の霧が晴れました。

『だいこんの花』

 さっそくネットで調べると、古い映像でも今はたいていDVDになってレンタルされているのですね。一本借りて見たところ、あまりの懐かしさに手元に置きたくなって、中古のDVDを五本まとめて購入し、ここ数日というものテレビに釘付けの毎日でした。


 人知れず 忘れられた茎に咲き

 人知れず こぼれ散る

 細かな白い だいこんの花


 青空にまっすぐ伸びただいこんの花のクレパス画に森繁久弥自筆の詩が重なり、竹脇無我が甘い声で読み上げます。バックには、例の、思い出そうとして中々思い出せなかった懐かしい主題曲が流れていました。

 ドラマの内容は、森繁扮する永山忠臣という元巡洋艦「日高」の艦長が、周囲の人々を巻き込んで繰り広げるホームコメディです。時折り回想シーンに登場する忠臣の亡くなった愛妻シゲ子が加藤治子、建設会社の設計士をしている忠臣の一人息子の誠が竹脇無我、行儀見習いのお転婆お手伝いさんが川口昌、忠臣が頭の上がらない口達者の妹がミヤコ蝶々、軍艦の名前である「日高」を屋号にして小料理屋を営む忠臣の腹心の部下が大坂志郎、その一人娘で密かに竹脇に心を寄せているのが竹原英子、忠臣行きつけの銭湯のあるじが牟田悌三、その妻が春川ますみ、娘が大原麗子、「日高」の一等水兵でパチンコ屋の店員が砂田秀夫…。

 俳優の顔が浮かぶ年代の人たちには、登場人物たちの軽妙なやりとりが浮かんでくることでしょう。脚本は、松本ひろしや向田邦子が書いていますが、全編を見終わってどんなストーリーだったかと聞かれてもにわかに答えようがありません。

 大坂志郎に持ち込まれた縁談を、自分に来たものと勘違いした忠臣が、妙に若返っていそいそする…とか、川口昌に強引に言い寄る田舎のカネ持ちの小松政夫を、竹脇と川口が恋人のふりをして撃退したあと、二人は本当に結ばれる…とか、腐った寿司を食べて嘔吐する川口の様子を妊娠と早合点した忠臣から、結婚早々のおめでたをからかわれて、妻の婚前の異性関係を疑った竹脇が荒れてしまう…とか、考えてみればたわいもない筋書きで、とても九十分は持たないと思われる内容なのですが、永山家の朝の食卓を例にとると、

「おい、何だこの目玉焼き、何で誠のは二つで私のは一つなんだよ」

「卵が四つしかなかったんす」

「それじゃみんなで一つずつ食べて、残った一つはとっとけばよかったじゃないか」

「だったらだんなさん、あたしのあげますよ」

「私ゃ何も二つ食べたいっつってるんじゃないんだよ、何言ってるんだ」

 といった調子です。どうってことのない日常の一こまですが、食卓で、日高で、銭湯で繰り広げられるこの種の会話が実に率直で、人間臭くて、滑稽なのです。それぞれが率直であるが故に、誤解と諍いと和解を繰り返し、和解する度に誤解する前より互いの理解…というよりも「愛」が深まってゆく暮らしぶりは、人と一定の距離を保つことに汲々としている時代だからこそ却って新鮮なのです。

 それにしても森繁久弥の芸達者ぶりはどうでしょう。

「だったらだんなさん、あたしのあげますよ」

 とお手伝いさんに目玉焼きを突きつけられて、

「私ゃね、何も二つ食べたいっつってるんじゃないんだよ、何言ってるんだ」

 払いのける森繁の表情には、玉子一個で年甲斐もなくひがんでしまったことを見透かされた狼狽が見事に表現されています。

「あれしきの酒で、酔ってなんかいるもんか!」

 とへべれけの森繁が、

「お父さん、頼むから大人しく寝てくれよ」

 息子とお手伝いさんの二人がかりで布団に組み伏せられて観念する瞬間の顔は、巡洋艦の艦長ではなくて、一人の哀れな酔漢です。

「兄さんは黙っとってんか、ややこしい。あんたがしゃべり出すとろくなことあらへんさかいな」

 妹役のミヤコ蝶々に頭ごなしに決め付けられて、すごすごと口をつぐむ森繁は、今度はあどけない子供の顔をしています。

 小さな体で他を圧倒する存在感を見せるミヤコ蝶々や、いかなる微妙な心情も巧みに表現して見せる森繁久弥の珠玉の演技を目の当たりにする撮影現場は、若手俳優たちにとって得がたい勉強の場になっていたに違いないと思ったとたん、はっとしました。竹脇無我はうつ病に苦しんで芝居のできる状況ではありません。竹原英子は乳がんの手術を拒み、既にこの世の人ではありません。大原麗子はギラン・バレー症候群という難病に侵されて現役から遠ざかっています。

 歳月というものは、ときに酷いものですね。

 司馬遼太郎が、既に完結した人間の生きざまを高みから眺め下ろして小説にする楽しみについて書いていましたが、ディスクの中には将来自分を襲う病魔や死についてまだ知る由もないスターたちの若さあふれる演技が封じ込められています。しかし、かつてのようにそれを空しいとは感じません。


 人知れず 忘れられた茎に咲き

 人知れず こぼれ散る

 細かな白い だいこんの花


 人間の生も、人知れず咲いて散る花の姿のように観じるようになったのは、私も彼らと同様の歳月を重ねたせいなのかも知れません。