ハマチの感受性

平成21年08月17日(月)

 寿司屋の水槽の中のハマチは、仲間の一匹がすくい上げられて、まな板の上で撲殺され、切り刻まれる様子を眺めながら、平然と泳いでいます。自分を別の個体の運命に重ねて怯える能力がないのです。

 キャンプファイヤーの炎に飛び込んでは焼け落ちる蛾も、仲間の死から学ぶ力はありません。火柱の明るさに魅せられて、身を投じたまま帰らない仲間たちの無残な最期を目の当たりにしながらも、次々と身を翻してわれと我が身を焼くのです。

 人間は違います。いえ、違うはずだと思っていました。しかし、想像力というものは、あくまでも知的作業の一つであって、他人の境遇を自分の身に置き換えて身震いするためには、感受性を、「慣れ」とは反対の方向に鍛え上げる、思った以上に高度な訓練が必要なようです。

 例えば、ダンボールにくるまって氷点下の夜を凌ぐ路上生活者の姿を最初に見た時のことを思い出してください。何とも気の毒な、やりきれない気持ちになったはずです。しかし、何度も同じ光景を目にするうちに、傍らを通り過ぎても心が動かなくなってしまったとしたら、私たちの感受性は慣れという感度低下をきたしたのです。自分を別の個体の運命に重ねて怯える能力を失って、水槽のハマチと同じになったのですね。

 この寒さで眠られるだろうか、ちゃんと食べているのだろうか、絶望で死んでしまいたくならないだろうか、朝になって冷たくなっていたらすぐに発見されるだろうか、連絡先を所持しているだろうか、連絡を受けた人はどうするのだろう、路上生活になった原因は何なのだろう、戦後の経済成長と社会保障の充実によって一旦は劇的に減ったはずの「乞食」と呼ばれる存在が、「ホームレス」と名を変えてこれほど増加しているのはなぜだろう…。目の前の路上生活者の姿から彼の生活背景から社会経済のありようまでありありと想像したり疑問を抱いたりする感受性こそ、人間をハマチと区分するひとつの境界線であると思います。ところがその感受性がとみに弱くなって、人間がハマチに近づいているような気がしてならないのです。

 私は最近、鼻と尿道から管を入れたお年寄りを専門に入居させる、寝たきり老人アパートなるものの存在を知りました。そこにはお年寄りばかりが二十人ほど入居して、狭い個室のベッドにチューブでつながれています。アパートのオーナーは賃貸住宅の他に、訪問介護と訪問看護と訪問診療の事業所を展開していて、アパートの入居者には代わる代わる医療と福祉の在宅サービスが提供されます。二十四時間安心ケアがキャッチフレーズのこのアパートは、施設でも病院でもなく、あくまでも賃貸住宅にすぎませんから、容態が悪化しても救急車を呼ぶ等の対応はできません。入居者は口から食べることも自分の足で歩くことも諦めて、死ぬまで白い天井を眺め暮らすのです。

 百歩譲って、意識のない介護難民については有難い終の棲家なのかも知れません。しかし、意識も感情も正常で、リハビリをすれば口から食べ、自分の足で移動する可能性のある患者が、他に引き受けてくれる施設も病院もないという理由で入居したとしたらどうでしょう。冤罪で十七年の長きに亘って獄中生活を強いられた菅谷さん同様、深刻な人権問題だとは思いませんか?たった一度の人生を何の罪もなく獄中で過ごすのも、チューブにつながれて過ごすのも同じです。ベッドで過ごす変化のない日々は必ず意欲低下をもたらします。明日のことよりも遠い過去が蘇ることの方が多くなり、やがてそれも思い出さなくなると、呼びかけに応じなくなり、瞳は輝きを失って、じっと死ぬ日を待つだけのイキモノになってしまうのです。

 その悲しさや恐ろしさを伝えたくて一作目の作品を書きました。何人かに読んでもらいましたが伝わららなくて二作目を書きました。それでも伝わらなくて三作目を書いてあきらめました。筆力の不足については、ほとんど自信を喪失しましたが、一方で、この種のことは事態としては理解されても、当事者の無念に肉薄することは至難の業なのだと思うに至りました。戦争のドキュメント映像で手足のない兵士の屍を見た時に抱く感慨が、飼い猫が死んだ時の悲しみの生々しさに遠く及ばないように、人間の感受性は、他人の身の上に起きた不幸に易々とは感情移入させない防御膜で保護されているのでしょう。それが人間の強さでもあると同時に、戦争を繰り返す愚かさでもあるのです。自分を含めた仲間の死が日常的に繰り返される弱肉強食の世界では、虫や魚や動物は、自分を別の個体の運命に重ねて怯える能力が欠如しているのではなく、仲間の死などに動揺も同情もしない強靭な防御膜が与えられていると考えるべきなのかも知れません。

 以下三つの作品を創作順に掲載します。

 読者諸氏の感受性のハマチからの距離を測る参考になれば幸いです。


* * * * * * * * * *


 第一作目「終の棲家」

 菊枝の身元引受人として呼び出された和子は、肺炎の治療は終了したので今週中に退院するよう申し渡されて途方に暮れた。

「姉は一人暮らしです。入院する前は普通に食べて畑仕事もしていました。今は鼻も尿道も管に繋がれて、第一、歩けないじゃありませんか」

「思ったより治療が長引きましたからね。歩けないのは筋力が衰えただけで病気ではありません。あとは気長にリハビリすることですよ」

 「それじゃ、せめて鼻の管を抜いて食べられるようにだけして下さい。自分で食べられさえすればきっと姉も…」

 言い終わらぬうちに主治医は立ち上がり、

「うちは急性期の病院ですからね」

 あとは相談室で相談して下さいと言ってカルテを閉じた。

「あの…急性期の病院って何ですか?」

 和子が主治医にしそびれた質問を若い相談員にすると、急性期とは生命の危機を脱するまでの濃厚な治療のことで、費用が高いから国が長期の入院を許さないのだと説明した。

「できるだけ受け入れ先を当たってみますが、どこも看護師不足ですから、鼻に管が入った状態では難しいですよ」

 相談員の言葉通り、結局リハビリ病院にも老人保健施設にも特別養護老人ホームにも断られたあげく、

「最近は二十四時間のケアの受けられるこんなアパートもできていますが…」

 菊枝は鼻と尿道に管が入っていることが条件の寝たきり専用アパートに入居した。

 そこは施設ではなく単なるアパートだから、容態が急変しても病院には運べなかった。口から食べる訓練も歩く訓練も行われなかった。外から医師や看護師やヘルパーが交替でやって来ては、管を交換し、簡単な診察を行い、体を拭いて行った。一週間後に和子が見舞うと、菊枝は別人のように虚ろな目で天井を見つめていた。

 入院の直前、収穫したナスを得意そうに掲げて見せた菊枝の変わり果てた姿だった。


* * * * * * * * * *


 第二作目「白い天井」

 七十五才を過ぎた頃から、うっかりすると食べたものが気管に入るようになりました。その日は食欲がなかったので、頂き物の茄子を刻んでお粥を作りましたが、やはり少しむせました。

 熱が出たのはその夜のことでした。

「気管からバイ菌が入ったようですね」

 誤嚥性肺炎という病名を医師から聞かされた時、私の鼻と尿道には管が入っていました。

「お隣りが救急車呼んでくれたんだよ」

 運がよかったねと言い残して妹は帰って行きました。治療は少し長引いて、熱が下がったのはそれから二週間が経った頃でした。ところが年を取ると、わずか二週間でも使わない筋力は衰えてしまうのですね。

「今週中に退院ですよ」

 と言われても、私は立つことができませんでした。それに鼻と尿道に管が入ったままでは退院なんかできません。すると先生は、

「ここは命を救う役割の病院ですからね。あとはリハビリの施設を探しましょう」

 院内にある相談室に連絡をしてくれました。

 若い相談員は車椅子の私を見るなり、

「できるだけ当たって見ますが、どこも看護師不足で、鼻に管が入った状態では難しいですよ」

 困った顔で言いました。

 相談員の言葉通り、すぐに移れる病院も施設も見つからず、かといって一人暮らしの自宅に帰る訳にもいかず、結局、

「最近は管で全身管理をしていることが入居条件のケア付きアパートもできていますが…」

 急変時の対応までは望まないことを誓約して入る、寝たきり専用アパートを紹介されました。

「ひとまず安心やなあ」

 妹が喜んで保証人になってくれてからやがて二ヶ月…。今日もスタッフたちが外から交替でやって来ては体を拭いたり管を換えたりしてくれますが、足は痩せ細って二度と歩けません。食べることも許されません。一人個室で天井を見つめる日々が死ぬまで続くのかと思うと、私はこの頃、気が狂うほど恐ろしくなるのです。


* * * * * * * * *


 第三作目「独白」

 誰か助けて下さい。これから先、この狭い部屋で、死ぬまでこんなふうに白い天井を見つめて暮らすのかと思うと恐ろしくてなりません。私の鼻には管が入っていて、日に三度クリーム色の流動食が流し込まれます。尿道にも管が入っていて、尿は常時ビニール袋の中に排出されます。もう空腹も尿意も感じません。ただ頭がご飯やうどんの味を覚えていて、時々無性に食べたくなるのです。

 私は体に麻痺が残る脳の病気ではなく、肺炎で入院しました。それまでは元気に畑仕事をしていたのに、管と点滴につながれて二週間ほど安静にしていたら、熱が下がった時には筋力が衰えて一時的に歩けなくなっていたのです。今週一杯で退院するように指示されて、管を抜いて歩く訓練をして下さいとお願いしましたが、大きな病院は命を救うまでが役割りだからと言われ、リハビリの施設を探すことになりました。しかし、どこも看護師不足で、管の管理が必要な患者を引き受けてくれる病院も施設もありませんでした。途方に暮れる私に紹介されたのが、この寝たきり老人専用アパートだったのです。

 ここでは管が入っていることが入居の条件でした。よかった助かった…と喜んだのは間違いでした。管で管理するということは、二度と歩かず二度と食べないということでした。医師や看護師や介護職員が外から交代でやって来て世話をして行きますがリハビリはありません。病院ではなく賃貸住宅なので、容態の急変には対応できないことを入居時に承諾していますから、私はここで死ぬのでしょう。

 あれから二ヶ月…。話し相手もなく黙って天井を見つめていると、自分が眠っているのか起きているのかさえ判らなくなります。このまま人間ではなくなってしまうような不安に襲われる私の鼻に、今日も若い介護職員が笑顔で栄養を注ぎ込んで行くのです。