国家

平成21年10月25日(日)

 色々な会場から講演依頼がありますが、ステージの中央に日の丸が掲げられている場合、演壇に進む時にいつもほんの少しだけ躊躇する自分に気づきます。国旗に対して礼をすべきかどうかを迷うのです。式典においてすら国旗に対する礼や国歌の斉唱を拒む教員の存在が時折ニュースになりますが、一方で、その是非を議論することにはタブーのような空気があるのはなぜでしょうか。

 日の丸の旗の下に大陸に戦火を広げ、やがて内外にたくさんの犠牲者を出した事実を根拠に、国旗を忌まわしいものとして認識するグループは、国旗掲揚という行為そのものの背後に、国民を不幸な運命に駆り立てる国家権力の存在を感じ取って拒否的になるのでしょう。国民の自由を守ることが戦争回避の最も基本的態度であると信じる立場を取れば、国家の象徴である国旗に向かって頭を下げ、天皇の御世のいやさかを祈る国歌の斉唱を強いられるのは、大げさに言えば既に戦争の準備段階と見なすべきなのかも知れません。

 しかし、国家を敵のように認識するグループといえども、国家という枠の中で生活をし、国家が保障する自由を享受しているのですから、国旗、国家を否定すべきではなく、むしろこの国の一員としての自覚と誇りを持って国旗には敬意を表し、国歌を斉唱すべきだという考え方も間違っているとは思えません。

 「君が代」に歌われる「君」が天皇を意味するのか否かについては、歌の出自を巡って議論があるようですが、素直に天皇を意味すると解釈したとしても、統治権のない国家の象徴として憲法に規定されている限り、君が世の永続を願う歌詞は、即ち国家の永続に対する祈りに過ぎず、論理的には特に反動的であるという結論には達しません。

 しかしその天皇の臣下として、たくさんの兵士も国民も命を落とした事実を風化させてはならないのではないかと言われると、たとえ憲法上の位置づけが変わろうと、昭和天皇が平成天皇に移ろうと、晴れがましく歌う気にはなれない気持ちも判ります。

 要するに、価値観や感情論のレベルで対立する問題を議論すれば、いたずらに立場の違いが明確になるだけで、決して融和は生まれません。和を以って尊しとなす大和民族は、その種の議論をタブーとして触れない知恵を昔から培って来たのです。

 会場にはその両者の考えの聴衆がいるのだと思うと、私が国旗に礼をしてもしなくても、一定の賛意と批判を覚悟しなければなりません。国旗国歌に対してさほどのこだわりを持たない私は、どちらかの態度を表明しなければならない窮地に立たされて、わずかな躊躇を禁じえないのです。

 そこで、言葉で表現してある分、国旗よりも意味するところが判りやすい国歌について国際比較をすることにより、わが国の国歌である「君が代」の、世界における特徴を考えてみたいと思いました。以下列挙します。

 まずはイギリスです。

  1. おお神よ 我らが慈悲深い女王陛下を守りたまへ 我らが気高き女王陛下よ とこしへにあれ 神よ 女王を守りたまへ 君に勝利を幸を栄光をたまわせ 御世の長からむことを 神よ 女王を守りたまへ
  2. おお主よ 神よ 立ち上がられよ  汝と君の敵を消散せしめたまへ 打ち砕きたまへ 彼らが策を惑わしたまへ 彼らが騙し手を挫きたまへ 我らが望みは汝の上に 神よ我らを救いたまへ
  3. 汝が選り抜ける進物の 君に喜びと注がれんことを 御世の長からむことを 我らが法を守りたまひ 絶えず理想を与へたまへ 声無きも声高きも謳ひぬ 我らが神よ 女王を守りたまへ
  4. 神の御慈悲は この御土のみでなく そのくまなきに知らる 主はこの御国に この広き世界の 全て人間は一つ兄弟たり 一つ家族たることを知らしめす
  5. 闇に潜みし敵より 暗殺者の魔の手より 神よ 女王を守りたまへ 君が上に汝が腕を広げ ブリテンが為に防がむ 我らが母にして君にして友 神よ 女王を守りたまへ
  6. 主はウェィド元帥をして その強き助けにより 勝利をもたらしめむ 乱を制しめむ 轟々たる濁流の如くして 反逆せしスコットランド人を破らしめむ 神よ 女王を守りたまへ

 次はアメリカです

  1. おお見えるだろうか 夜明けの薄明かりの中 我我は誇り高く声高に叫ぶ 危難の中 城壁の上に 雄雄しく翻る 太き縞に 輝く星々を我々は目にした
    砲弾が赤く光を放ち 宙で炸裂する中 我らの旗は夜通し翻っていた ああ星条旗はまだたなびいているか 自由の地 勇者の故郷の上に
  2. 濃い霧の岸辺にかすかに見える 恐れおののき息を潜める敵の軍勢が 切り立つ崖の向こうで 気まぐれに吹く微風に見え隠れする
    朝日を受け栄光に満ちて 輝きはためく星条旗よ 長きに渡り翻らん 自由の地 勇者の故郷の上に
  3. 戦争による破壊と混乱を 自慢げに断言した奴らは何処へ 家も国もこれ以上我々を見捨てはしない 彼らの邪悪な足跡は 彼ら自らの血であがなわれたのだ
    敗走の恐怖と死の闇の前では どんな慰めも傭兵や奴隷たちの救いたりえず 勝利の歓喜の中 星条旗は翻る 自由の地 勇者の故郷の上に
  4. 愛する者を戦争の荒廃から 絶えず守り続ける国民であれ 天に救われた土地が 勝利と平和で宿泊されんことを願わん 国家を創造し守り賜うた力を讃えよ
  5. 肝に銘ぜよ 我々の大儀とモットーは「我らの信頼は神の中に有る」ということを 勝利の歓喜の中 星条旗は翻る 自由の地 勇者の故郷の上に

 さてフランスです。

  1. いざ祖国の子らよ 栄光の日はやって来た 我らに向かって暴君の 血塗られた軍旗は掲げられた 血塗られた軍旗は掲げられた 聞こえるか戦場で あの獰猛な兵士どもが唸るのを 奴らは我我の腕の中まで 我らの息子や仲間を殺しにやってくる
    武器を取れ 市民諸君 隊伍を整えよ 進もう 進もう 不浄な血が我らの畝溝に吸われんことを
  2. 何を欲しているのか 奴隷と裏切り者と陰謀を企てた王どものこの軍団は この卑劣な足枷は誰のため 久しく用意されたこの足枷は 久しく用意されたこの足枷は フランス人よ 我らのためだ ああ何という侮辱 どれほどの激情をそれはかきたてることか 奴らが厚かましくも古の奴隷に戻そうと目論んでいるのは 我らをなのだ
    武器を取れ 市民諸君 隊伍を整えよ
    進もう 進もう 不浄な血が我らの畝溝に吸われんことを
  3. 何とあの外国の軍勢が 我らの故郷で我が物顔に振舞うだと 何とあのカネ目当ての軍隊が 我らの名うての戦士たちを打ちのめすだと 我らの名うての戦士たちを打ちのめすだと ああ鎖で手を繋がれ くびきを繋がれた我らの首が屈するだと 卑しい暴君どもが 運命の支配者になるだと
    武器を取れ 市民諸君 隊伍を整えよ
    進もう 進もう 不浄な血が我らの畝溝に吸われんことを
  4. 震えよ暴君ども そして裏切り者よ あらゆる党の名折れよ 震えよ汝の親殺しの企みは ついにはその報いを受けるだろう ついにはその報いを受けるだろう 全ての者が汝らと戦う兵士 我らの若き英雄たちが倒れれば 大地が再び彼らを産み出す 汝らに対して皆戦いの用意はできている
    武器を取れ 市民諸君 隊伍を整えよ
    進もう 進もう 不浄な血が我らの畝溝に吸われんことを
  5. フランス人よ 寛大な戦士として 打撃を与えるか控えるかせよ あの痛ましい犠牲者たちは容赦せよ 心ならずも我らに武器をとる犠牲者たちは 心ならずも我らに武器をとる犠牲者たちは しかしあの血みどろの暴君どもは しかしあのブイエ将軍の共謀者どもは 全てこの虎どもは 情け容赦なくその母の胸を引き裂くのだ
    武器を取れ 市民諸君 隊伍を整えよ
    進もう 進もう 不浄な血が我らの畝溝に吸われんことを
  6. フランス人よ 寛大な戦士として 打撃を与えるか控えるかせよ あの痛ましい犠牲者たちは容赦せよ 心ならずも我らに武器をとる犠牲者たちは 心ならずも我らに武器をとる犠牲者たちは しかしあの血みどろの暴君どもは しかしあのブイエ将軍の共謀者どもは 全てこの虎どもは 情け容赦なくその母の胸を引き裂くのだ
    武器を取れ 市民諸君 隊伍を整えよ
    進もう 進もう 不浄な血が我らの畝溝に吸われんことを
  7. 神聖な祖国愛よ 我らの懲罰の手を導き支えたまえ 自由よ 愛しき自由よ 君の擁護者とともに闘いたまえ 君の擁護者とともに闘いたまえ 我我の旗の下勝利の女神が 君の雄雄しい歌声のところに駆けつけんことを 君の瀕死の敵どもが 君の勝利と我らの栄光を見んことを
    武器を取れ 市民諸君 隊伍を整えよ
    進もう 進もう 不浄な血が我らの畝溝に吸われんことを

 ドイツです

  1. ドイツよ ドイツよ この世のすべてのものの上にあれ 護るにありて兄弟のような団結があるならば マース川からメール川まで エチュ川からベルト海まで ドイツの国は この世のすべてのものの上にあれ
  2. ドイツの女性 ドイツの忠誠 ドイツのワイン ドイツの歌は 古きからの美しき響きを この世に保って 我々を一生の間 高貴な行いへと奮い立たせねばならぬ ドイツの女性 ドイツの忠誠 ドイツのワイン ドイツの歌よ
  3. 統一と正義と自由を 父なる祖国ドイツの為に その為に我らは挙げて兄弟の如く 心と手を携えて努力しようではないか 統一と正義と自由は 幸福の証である その幸福の光の中で 栄えよ 父なる祖国ドイツ

 イタリアです

  1. イタリアの同胞よ スキピオの兜 頭に戴きて イタリアは覚醒せり 勝利の女神よ何処に坐すや イタリアにその髪を捧げよ 創造主はローマの僕として そなたを創り給へるぞ 創造主はローマの僕として そなたを創り給へるぞ
    歩兵隊に参加せよ 我らに死の覚悟あり 我らに死の覚悟あり イタリアは呼び招く 歩兵隊に参加せよ 我らに死の覚悟あり 我らに死の覚悟あり イタリアは呼び招く おお
  2. 幾世紀に亘る 恥辱と哂笑も 我らが合致せず 分裂せしが故ぞ いざ聚はせよ 一つの旗 一つの希望 一致団結の 秋は来たれり
    歩兵隊に参加せよ 我らに死の覚悟あり 我らに死の覚悟あり イタリアは呼び招く 歩兵隊に参加せよ 我らに死の覚悟あり 我らに死の覚悟あり イタリアは呼び招く おお
  3. アルプスからシチリアまで レニャーノの凱旋遍し フェルッチョの 身体と精神 我らにあり イタリアの若人は 是みなバリッラぞ 鐘楼は並べて 晩祷の時を告ぐるなり
    歩兵隊に参加せよ 我らに死の覚悟あり 我らに死の覚悟あり イタリアは呼び招く 歩兵隊に参加せよ 我らに死の覚悟あり 我らに死の覚悟あり イタリアは呼び招く おお
  4. 傭兵の刃は 葦の如く脆し オーストリアの鷲 コサックと共に イタリアとポーランドの 生血を呑み啜れども 今やそは 焼き掃われぬ
    歩兵隊に参加せよ 我らに死の覚悟あり 我らに死の覚悟あり イタリアは呼び招く 歩兵隊に参加せよ 我らに死の覚悟あり 我らに死の覚悟あり イタリアは呼び招く おお

 ロシアです

  1. ロシア 聖なる我らが国歌よ ロシア 愛しき我らの国よ 力強き意思は 大いなる栄光は 汝が持てるものは いかなるときにも
    讃えられてあれ 自由なる我らが祖国よ 幾世の兄弟なる民族の結束よ 父祖より授かった民族の英知よ 国よ讃えられてあれ 我ら汝を誇らん
  2. 南の海より極地の果てへと 広がりし我らが森と草原よ 世界に唯一なる汝 真に唯一なる汝 神に守られた祖国の大地よ
    讃えられてあれ 自由なる我らが祖国よ 幾世の兄弟なる民族の結束よ 父祖より授かった民族の英知よ 国よ讃えられてあれ 我ら汝を誇らん
  3. 夢が為生きるが為 遮らぬ自由を 来るべき時は我らにもたらす 祖国に対する忠誠は 我らに力を与える それはかつて、今も、そして常に在り続けん
    讃えられてあれ 自由なる我らが祖国よ 幾世の兄弟なる民族の結束よ 父祖より授かった民族の英知よ 国よ讃えられてあれ 我ら汝を誇らん

 中国です

  1. 起ち上がれ 奴隷となることを望まぬ人々よ 我らの血肉を以って新たな長城を築こう 中華民族に最大の危機がせまり 一人ひとりが最後の咆哮をあげる時だ 起て 起て 起ち上がれ 我々すべてが心を一つにして 敵の砲火をついて進め 敵の砲火をついて進め 進め 進め 進め

 スウェーデンです

  1. 汝が歴史 汝が自由 汝峰の連なり多き北国 汝が沈黙 汝喜びあふれた美 我らは汝に挨拶する 地上にありて最も崇高なる汝に 汝が太陽 汝が青空 汝が草原の緑
  2. 汝が玉座は昔の記憶にあり 汝が名が世界を飛翔していた 時代にあり 我は知っている 汝が今も昔も変わらずそのままでいることを おお 我北欧に生き 北欧に死すことを欲す

 最後に念のため「君が代」を掲載しておきましょう

  1. 君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔の生すまで

 こうして比較をして見ると、皆さんはどんな感想を持ちますか?

 価値観や感情論のレベルで対立する問題を議論すれば、いたずらに立場の違いが明確になるだけで、決して融和は生まれません。私も和を以って尊しとなす筋金入りの大和民族ですから、ここで私見を披露する愚は避けたいと思いますが、実は比較の対象にもならないくらい「君が代」はあっけないのです。

 圧政から血みどろになって自由を勝ち取った歴史を背景に、起ち上がれとか、敵を打ち砕けとか、武器を取れとか、死を覚悟せよとか、奴隷になるなとか、息苦しいほどの愛国心を謳う各国の国歌に対し、わが日本国の国歌は田園風景のようにのどかです。年金が消えても、大量の派遣切りが行われても、一冬で何人ものホームレスが凍死しても、暴動一つ起こらない国で、国旗や国歌に対する微妙な警戒心があることを、健全と見るか病的と見るかについては意見の分かれるところでしょうが、自らの心根に、易統治性と称する体制への過度の従順さがあることを自覚した上での警戒であるならば、矛先は実は己の内部に向けられているのかも知れません。