お富さん

平成22年01月08日(金)

 高齢社会の反映でしょうか、年末年始はいつになく充実した懐メロ番組が多かったように思います。デジカメを手に新しい写真をアルバムに貼り付けてゆくのが若者で、分厚いアルバムを取り出しては過去を眺めるのが年寄りの特性だとすれば、つい懐メロを楽しんでしまった私は、間違いなく後者に属しているのですね。

 それにしてもいまは亡き往年の歌手たちが、元気な姿で次々と歌うのですから、映像という文明はタイムマシンのように不思議なものです。秀吉の時代にこれがあれば、「人生五十年…」と得意の幸若舞を舞う信長の姿を、夜な夜な茶々と一緒に寝所で観ては懐かしんだことでしょう。

 春日八郎と三橋道也の特集を観ましたが、全国のパチンコ屋さんから火がついて、空前のヒット曲になったという、春日八郎の『お富さん』を聴いた時ばかりは、子供の頃の思い出が蘇えって愉快になりました。


『粋な黒塀 見越しの松に

仇な姿の 洗い髪

死んだはずだよ お富さん

生きていたとは お釈迦様でも

知らぬ仏の お富さん

ええさおお 源氏(げんや)や店(だな)』


 という歌詞なのですか、当時大人たちが歌うのを聴いて、かろうじて一番だけを覚えた私の歌詞はこうでした。


『粋な黒兵衛 神輿の松に

あだ名姿の 洗い髪

死んだはずだよ お富さん

生きていたとは お釈迦様でも

知らぬ仏の お富さん

ええさおお、げんやだなあ』


 頭の中で私は、以下のような解釈をしていました。昔、富三郎という粋な男がいて、お富さんと呼ばれていました。その日、お富さんは土地のお祭で威勢よく神輿を担いでいました。神輿の上には、巨大な松がこしらえてありました。掛け声は「えっさおお」「えっさおお」です。神輿が通る両側では、見物客が担ぎ手に盛んに水をかけますから、お富さんの髪は洗い髪のように濡れています。ところが、対岸の漁師町から見物に来ていた一人の男が、お富さんを見てびっくりするのです。富三郎は確か三年前に漁に出たまま戻らず、海で死んだことになったはずではありませんか。

「あの…ちょっとお尋ねしますが、先頭で神輿を担いでるのは富三郎という男ですよね?」

「さあ、本人は記憶を失くしていて自分でも本名を覚えていないようですが、色が黒いでしょう?みんな黒兵衛というあだ名で呼んでいますよ。そう…浜に流れ着いて、もう三年になりますかねえ、気風のいい男ですよ」

 そうか、お富さんは生きていたのかと驚いて、しみじみ漏らした言葉が、

「げんやだなあ…」

 だった訳ですから、江戸の昔、奇跡のような出来事に出会った時に用いる感嘆詞に、「げんや」という特殊な言葉かあったのだと、実は思春期になるまで信じていたのでした。

 それにしても子供の想像力というものはあなどれないものですね。いま振り返ってもそれなりに筋が通っています。

 では、本来のストーリーはどういうものだったのでしょうか?実はお富さんは女性で、源氏店(げんやだな)という妾宅に囲われているところへ、かつて一緒に心中事件を起こした与三郎が金銭をゆすりに来るという話しなのですが、関心がおありの方は、どうぞ歌舞伎の「与話情浮名横櫛(通称切られの与佐)」をお調べください。