情報の正しい判断

平成22年05月09日(日)

 開場の一時間も前に並んだ甲斐あって、私の位置は公会堂の正面の階段からせいぜい数メートル続いた列の最後でしたが、市内の学区ごとに二名ずつ動員された民生委員たちが続々と集まって、わずかな間に私の後ろには最後尾が見えないほどの長い行列ができました。入り口の立て看板には、憲法週間の記念講演として、講師である辛坊治郎氏の名前の横に「報道の現場から~情報の正しい判断~」という演題が黒々と印刷されていました。興味深いテーマです。辛坊という名前の通り、辛口の論評で定評のある民放の局アナは、マスメデイアに属する側の人間として、情報にまつわるどんな話をしてくれるのでしょう。

 五月に入ったばかりだというのに日差しは夏を思わせる暑さで、私よりかなり年輩の民生委員諸氏は囚人のように口をつぐんで並んでいました。入場は無料です。整理券もありません。

「中に入れてくれればいいのにね」

 どこからか聞こえて来たつぶやきは、しごく正当なもののように感じられました。会場の準備が整ったなら、少しでも早く入場させたらいいでしょう。聴衆を一時間も並ばせてまで開場時間を厳守することにどんな意味があるのでしょう。数人の係員は、割り込みをする不心得者を目ざとく見つけては、最後尾に並ぶよう指示しています。しかし、さっさと入場させたらどうだと要求する者は皆無です。決定権は彼らにはありませんし、暴動でも起きない限り、決定権を持つ人に取り次ぐつもりもないでしょう。取り次いだとしても、

「そういうわがままな声を現場で何とかするのが君たちの仕事でしょう」

 係員は叱責されるに決まっています。それが予想できるから係員は取り次がないし、取り次がないことが予想できるから聴衆は要望もしないで黙々と並んでいるのです。

 ところが列に並ぶ人の誰かが熱中症で倒れでもしたら事態は一変します。

「そのような状況なら臨機応変に入場させるのは当然です。現場の不手際をお詫びしなければなりません」

 現場の係員は突然責任を追求されるに違いありません。組織とはそういうものです。だからこそ、この種の決定権はできるだけ現場に近いところに下ろす方がいいのです…などと、とりとめもないことを考ながら待つこと一時間。ようやく会場の時間になりました。

 どっとなだれ込むように会場に入り、ステージからちょうどいい距離の通路ぎわの空席を見つけました。腰を下ろして振り返ると、続々と入場する聴衆で一階席はもう満席でした。それでも一縷の望みをかけて前の方の空席を探してやって来る人たちに、

「ここから先は満席です。二階席をご利用ください」

 すぐ横の通路でオレンジの上っぱりを着た会場整理員二人が大声を張り上げています。二階席では講師の姿はるかに遠くて臨場感はありません。一時間並んだ甲斐があったというものです。しばらくくつろいで、いよいよ開演時間が迫った頃でした。オレンジの係員が私に体を屈めて思いがけないことを言いました。

「あの、ここは係員の席ですので、ほかの席にお移り下さい」

「え?」

 にわかに事情が飲み込めない私を見下ろして、

「座席の背もたれに貼り紙があると思いますが、ここは係員の席になっております」

 立ち上がって振り返ると、確かに背もたれには、関係者以外は座らないようにと書いた紙が貼ってあります。しかし座面に貼ってあるのならともかく、会場の後ろからぞろぞろと入場して、空いている席に腰を下ろした私には、背もたれの貼り紙は見えないではありませんか。

「あなた、すぐ近くで会場の整理をしていて私がここに座ったのを知っていたのだから、もっと早く教えてくれたらいいでしょう。私は移りませんよ!」

 と言いたい気持ちを抑えて、

「一時間も並んだのに、二階席に行けと言うのですか?」

 悪びれた様子もない係員に向かって何の意味もない質問をするのが精一杯でした。険悪な空気をとりなそうとしたのでしょう。隣の席の高齢の男性が、

「貼り紙に気がつかれなかったのですね」

 と愚にもつかぬことを言いました。

「あなたも知っていたのなら、どうして教えてくれなかったのですか!」

 と言うのも空しくなって、私はことさら胸を張って、その実、これ以上ないほど惨めな気持ちで二階席に移りました。一時間並んで、結局、最後尾の人よりも条件の悪い席しか取れませんでした。満場の聴衆が事情を知っていて、特等席を追われる私を笑っているような気がしました。

 講演は、安易に情報を鵜呑みにすることの危険性を例を引いてわかり易く訴える期待以上のものでしたが、鵜呑みどころか、張り紙という情報が届かなかったために私は大変な不利益を受けました。二階席からは私が座っていた席がよく見下ろせましたが、オレンジの係員は何をする訳でもなく、最後までゆっくりと講演を聴き終わると、おもむろに第二部の人権をテーマにした映画の準備にとりかかったのでした。

 入り口で渡された資料には、隣人同士互いに思いやって、明るい人権社会を作りましょうというスローガンが書いてありました。