潮干狩り

平成22年05月20日(木)

 海辺の町に住む親しい友人から、今年も潮干狩りの誘いを受けました。炎天下の海に八十歳の母親を連れて行くのは冒険ですが、母は昔から観光地を巡るより潮干狩りや山菜採りが大好きで、バケツの中の大量の浅蜊を自慢する時の顔はまるで子供のようです。

「今年も行くか?」

 と電話をすると、

「帽子を新調せんならん」

 母の気持ちは既にはるかに潮の引いた砂浜にいるようでした。

 その日、まるでキャディのようないでたちで助手席に乗り込んだ母は、

「そういえば、町内のMさんがな…」

 自慢の玉子焼きを作ろうと次々と卵を割っては殻をボールに入れて、中身を全部流しに捨ててしまった失敗談を披露して大笑いをしたあとで、ふっと静かになりました。母より二つ上のMさんは最近めっきり老け込みました。つい先日は母より三つほど上のHさんが亡くなりました。歯が抜けるように町内から仲間たちが消えて行きます。大笑いをしながらも母は、いつのまにか至近距離にまで忍び寄っている自分の「死」を具体的に意識したのでしょう。

「葬式のことやけどな…」

 唐突にポツリと言いました。今思えば運転席と助手席という位置関係が、顔を見合わせていてはとても持ち出せない話題を可能にしていたのですね。

「献体しようかと思ってな」

「え?」

「前々から考えとったんや、献体…」

「献体って、死んでから医学の勉強のために解剖されるんやぞ。裸にされて、これが皮膚、これが筋肉…て」

 怖くないのか?と尋ねる私に母の答えは明快でした。

「死んどるんやぞ」

 解剖も火葬も土葬も死んでしまえば同じことだと言うのです。

「だったら医学の役に立った方がいい」

 という理屈は分かります。分かりますが、私には恐怖に似た感情が拭えません。

「どうしても献体したいと言うのなら、手続きの書類を取り寄せるけど、献体と葬式は別の問題だからな」

 母の遺体が切り刻まれる将来を今は想像したくなくて、私は話題を献体から葬式へと切り替えました。

 ところが母は、う~む、葬式かあ・・・としばらく考えて、

「そんな煩わしいことをお前にさせたくないと思ってみたり、参列してくれた人たちとお前がどんな話しをするのかと考えると、それも楽しみだったり…う~む、迷うなあ」

 またしても思いがけない答えを返してよこしたのでした。

 海は絶好の潮干狩日よりで、引いた潮が再び満ちて来るまで私たちは黙々と砂を堀りました。浅蜊と一緒に母を送り届けてマンションに戻り、その夜のうちに汚れた衣類を洗っておこうと洗濯機の蓋を開けると、朝着替えた母のパジャマが入っていました。突然献体の話を思い出しました。それが母の希望なら叶えてやりたいと思います。そのくせ、解剖台に横たわる母を思うとたまりません。しかし、母がそれを断行すれば、死はようやく忌まわしさというベールを脱いで、平明な事実となるような気もします。

 考えはまとまらないまま洗濯機のスイッチを入れると、母のパジャマが抜け殻のようにくるくると回り始めました。