お婆ちゃんのラーメン

平成22年07月04日(日)

 それは生まれて初めて見る光景でした。

 外回りの仕事が一段落した私は、カラ梅雨の猛暑から逃れるようにショッピングセンターに飛び込みました。ここならクーラーが効いています。しかし平日の昼間、いい年をしたおじさんが、当てもなく店内をぶらぶらするのも気が引けて、ちょっと早めのお昼を取ろうと中華料理店に入りました。冷やし中華を注文する私のすぐ横のテーブルでは三人のお婆ちゃんたちが賑やかにラーメンを食べていました。お婆ちゃんたちの隣のテーブルでは、南米系の、目鼻立ちのくっきりとした、モデルのような若い外国人女性が二人、食べ終わったラーメンの鉢を前に、盛んにおしゃべりをしていました。お婆ちゃんたちの会話は名古屋弁です。女性たちの会話は英語です。時代も変わったものですね。ふと入ったショッピングセンターの大衆食堂で、お年寄りの名古屋弁と若い外国人の英語の会話が当たり前のように聞こえてくる世の中になったのです。町で外人を見たというだけで、ちょっとしたニュースになった時代を知っているだけに、隔世の感がありました。ところが、驚いたのはそのあとのことでした。お婆ちゃんの一人がラーメンを食べ終えて箸を置いたときです。

「スミマセン、ソノ、ラーメン、モウ、タベマセンカ?」

 外国人の女性の一人がたどたどしい日本語でお婆ちゃんに聞きました。

「ん?ああ、わたしゃ、お腹がいっぱぁだで、もう食べれぇせん」

「ソレジャ ワタシガ タベテモ イイデスネ?」

 女性は言いながらカラの鉢をお婆ちゃんに差し出しました。お婆ちゃんは戸惑いながらも受け取るしかありません。

「あれま、あんた、汁まで残さんと、きれいに食べとるがね」

 お婆ちゃんは、受け取った鉢の代わりに、麺が半分ほど残った自分の鉢を彼女に渡しました。女性は、お婆ちゃんの食べ残したラーメンをうまそうにスープまですっかり平らげてにっこりと笑いました。その瞬間のお婆ちゃんの嬉しそうな顔が印象的でした。いいことをした人間はいい顔をするものですが、お婆ちゃんの顔はそれともちょっと違っていました。うまく言えませんが、もっと親密な表情でした。嬉しかったのですね、見ず知らずの若い女性が自分の食べ残しを、汚いとも思わないで食べてくれたのが。

 一連の出来事を風習の違いでくくるのはよしましょう。外国人労働者の低賃金に結びつけるのもよしましょう。ほとんど同時に席を立った三人のお婆ちゃんと二人の外国人女性は、店を出て左右に別れたのですが、ラーメンを分け合った二人は別れ際に互いに振り向いて、胸元で小さく手を振ったのでした。