農民たちの改革

平成22年07月21日(水)

 田植が終わった田圃を眺めると、ああ、今年も夏が来る・・と思います。冷夏のニュースが流れると、稲の生育は大丈夫だろうか・・と心配になります。一面に実った稲穂が風にそよぐのを見ると、台風が来ないようにと祈ります。ことほどさように農業は変化を嫌うのです。ですから、昨年と同じ時期に種を蒔き、同じ時期に収穫し、豊かな実りを可能にしてくれる自然の力を神と崇め、天変地異を神の怒りと畏れます。当然のことながら、神に豊作を祈り感謝を捧げるための祭礼も変化を嫌います。毎年同じ日に同じ手順でとり行われる祭礼は、稲作同様、これまでのやり方、つまり、しきたりを知っている年寄りに権威が与えられます。縄の結び方から神殿への進み方まで実に細かなルールがあって、もう少し結び目を上にせよとか、右足をもう少し前に出せとか、それはそれはやかましいのです。勤め人の氏子が増えて、毎年開催日が決まっている祭礼の日程を日曜日に変えようなどと要求しようものなら、神事は動かせないという頑なな古老の抵抗に遭うのは、種蒔きの時期が動かせないこととつながっているのです。

 農業立国の政治は「まつりごと」と呼ばれて、天下太平、五穀豊穣、国土安穏・・つまりは民の生活を安定させるのが目的でした。米を経済の中心に据えた徳川政権は、安定こそ正義であると位置づけて、営々と秩序の維持に努めました。極端な前例主義も、鎖国政策も、変化を嫌う農業立国の政府にとっては当然の政治理念であったのです。長年にわたり、変化を悪として遠ざけて来た農業立国の国民は、急速に工業化を果たしたのちも、心根においては勤勉な農業従事者であり続けたように思います。会社という田圃を与えられるや、農具を工具に持ち代えて、せっせと工業製品を製造し、都市に年功所列の村社会を形成しました。春と秋はまるでお祭りのように社員旅行に繰り出して、互いが同じ共同体の一員であるという自覚と、誰の指示に従うべきかという秩序を認識しました。大手の株式会社も下請けの町工場も公務員も政治家も、野良着から制服に着替えはしたものの、本質的には変化を嫌う農民であったように思います。

 戦争で何もかもなくしてしまった貧しい国の農民が、にわかに工場労働者となって、安い賃金に文句も言わず、持ち前の勤勉さを発揮して、良質の製品を作り出している間はうまくいきました。農業でいえば品種改良に相当する製品の改良についても熱心で、鉛筆の端に消しゴムを取り付けたり、ソケットを二股にするといったたぐいの、使う側の立場に立った工夫が、家電製品や自動車にまで施されると、国の内外で大いに歓迎されて、国家は栄え、国民の生活は見る見る豊かになりました。政治も、村の有力者の集まりのような政党が、まるで役員を回り持ちするように、大臣の首をすげ替えながら、長期に政権を担当しました。

 やがて豊かさは一定の水準に達し、労働者の所得が随分と高くなった頃、かつての我が国のように、低い賃金水準の隣国が自由経済に目覚め、国際舞台に躍り出たことで事態が一変しました。私たちが作っていたような製品は、隣国が驚くほど安く作るようになりました。それどころか、世界市場を自由に駆け巡ろうとするマネー資本の求めるままに、経済分野における国家間の垣根は限界まで低くなって、人やモノやカネの往来が自由になり、加えて、あらゆる情報がインターネットに乗って瞬時に国境を越えるようになると、苦労して改良を重ねたアイディアは、いとも簡単に隣国に流れ、高度な技術を有する人材も高給で隣国に雇われて、自国の産業を脅かす時代が到来したのです。

 もはや我が国は、のんびりと去年と同じことをしてはいられなくなりました。既存の製品の生産は隣国に任せ、内外のニーズをいち早く発見、開発して、ソフトであれハードであれ、独創的な商品を提供し続けなくてはならなくなりました。そのためには、発想も組織も製造拠点も必要に応じて大胆に変えることのできる柔軟性が必要になりました。経験よりも創造力が、古老の知識よりも若者のアイディアが会社の命運を握るようになりました。こうして、長い間、世の中の根底を支えて来た農業社会のシステムが急激に変革を迫られました。そんな時代の流れを機敏に察知した総理大臣が「改革なくして成長なし」と宣言して構造改革に着手した頃から、世の中は不安定になりました。当然です。改革は変化であり、変化は不安定と同義語です。改革なくして成長なしとは、言い換えれば、成長のためには安定を捨てよ、という意味なのです。終身雇用は崩れました。隣国の安い労働力と渡り合うために、全体の賃金水準を下げる代わりに、多様な労働形態という美名の下に派遣労働が大量に導入されました。外国人労働者も増えました。村社会は壊れ、社員旅行も影を潜め、高給取りの年輩社員から先にリストラされるようになりました。

 ほとんど本能と言っていいほど変化を嫌う国民が、変化しないと生き残れないという強迫観念に駆られました。もはや会社は所属してさえいれば食いっぱぐれない田圃ではなくなり、人事考査には成果主義が導入されて、前任者と比べ、あるいは昨年の仕事と比べて、今年はどれだけの成果を上げたかが問われるようになりました。年度当初に、ここをこんなふうに改革するという個人目標を立て、その達成の程度で成績が評価されるとなれば、本来勤勉な農業従事者は、田の草を取るような真面目さで改革に励みます。民間レベルでこれが行われる分には我が国の産業体質の強化につながるのでしょうが、政治レベル、あるいは行政レベルで行われると、世の中は落ち着きません。朝礼暮改も革命期にはやむを得ませんが、役人が役所の中での自分の評価を得る目的で制度を頻繁に改められたのでは末端はたまりません。政治家の人気取りのためにマニュフェストだ、アジェンダだと言われても国民は困ります。政党を変えて混乱し、大臣を変えて失望し、法律を変えて新たな不合理が生まれています。さらにそれを助長するように、世の中の変化を飯の種にするマスコミが、出る杭を叩き続けます。自分たちが選んだ代表を、お前じゃだめだと引きずり下ろし、新しくなった代表を、お前もだめだと引きずり下ろしているうちに、出番が増えるのは責任を持たない評論家たちだけで、政治というものが加速度的に信頼を失っているのが現在の我が国の姿ではないでしょうか。

 国民が政治を信頼できない民主主義国家は不幸です。家電量販店に行けば、外国で製造された日本製品が、こんなに安くていいの?という値段であふれているにもかかわらず、どうしても欲しいというものがありません。内需が拡大せず、給料が上がらず、求人が減って、失業者が増えている原因が、ひとわたりモノの行き渡った、踊り場のような豊かさと、とんでもないエネルギーを持った隣国の存在であることを国民は十分に知っています。税収の伸びない中で、それでも国民に対する一定の法定給付を行うために、国家が国民から気が遠くなるほどの借金をしている窮状も承知しています。一方では国民の資産としてカウントされる国債が、一方では国の負債として計上されて、その使い道が国民に対する給付であるということは、まさしくタコが自分の足を食べて飢えを凌いでいる姿ではありませんか。

 省エネブームに乗って売り上げを伸ばした自動車メーカーの社長の非常識な報酬には、わずかな派遣労働で得た収入から召し上げられた税金が、エコカー減税や補助金という形で間接的に含まれているではないかという憤りが、足を提供しているタコたちの懐疑と無力感になっています。大手の会社が大変な内部留保を有しているから未曾有の不況を堪え忍んでいられるのか、留保に回す収益を社員の給与や株主の配当に還元しないから不況から脱却できないでいるのかも、タコたちは分からないままため息をついています。消費税を上げれば解決するのでしょうか。税を上げる前にすることがあるというのなら、なぜ早急にそれをしないのでしょうか。経済成長によって税の増収を図ると言われても、どんな方法で経済成長を図るのでしょうか。一国のリーダーたちが、億単位のカネをうやむやにしている事実に決着をつけないまま、耳触りのいい選挙公約を声高に叫べば叫ぶほど、擁立されたたくさんのタレント議員同様、残念ながら集票の具としか映らないのです。

 国民は今、この国が直面している事態の全容と、向かうべき方向を、分かりやすい言葉で説明してくれる政治家の出現を待ち望んでいます。資源といえば人間しかないこの国の若者が、ゆとり教育のせいかどうかは分かりませんが、学力も表現力も競争力も忍耐力も目に見えて衰えているような気がして、年金の将来像同様に不安に感じています。ヒトラーの再現は困りますが、農耕民族から本気で脱皮するのであれば、オオカミの集団に強いボスが存在するように、今こそ魅力ある言葉で信念を語る政治的リーダーが出現しなければなりません。イデオロギーの時代は楽でした。社会構造についての基本的な対立軸が設定されていたために、どちらかを選択すれば羅針盤は大筋で一定の方向を指し示していました。現代のリーダーには、刻々と変化する世界情勢に合わせて、刻々と舵を切る能力が求められています。その舵取りを、今は右に切るべきではなかったか、さっきは左に取るべきではなかったかと、その都度リーダーそのものを変えていては、船頭の技術の習熟は望めません。変革は不安定を意味しますが、航路が荒海であればあるほど、腕のいい船頭を信頼して任せれば、船は上下に揺れても進路を誤ることはないのです。

 変化を嫌う農民が変化を迫られて困惑している状態を表現しようとしたつもりが、目的の範囲を越えました。読み返すと、現状を憂うばかりで、方向を指し示す能力のない自分が残念でなりません。お前こそ評論家ではないかというそしりを覚悟しながら、難局に臨んで我々は一体どこへ向かうべきかについて、読者と共に考えを巡らす着火剤になれば幸いです。