切符

平成22年07月22日(木)

 六十歳を目前にした頃から、めっきり失敗が増えました。特に電車の切符関係では信じられないような失敗をします。検札や改札の間際になって、どのポケットにしまったかがわからなくなるのは頻繁に経験していますから、目的地に着くまでの間に何度も確かめるのが癖になりました。確かめて安心していても、ハンカチを取り出した拍子に落ちたりするのですね、改札を出る段になって切符が見つからなくて、ひどい目に遭ったことがあります。いっそ切符だけは別のポケットにしまおうと、わざわざカッターシャツの胸ポケットに入れたりすると、やがてそのことを忘れてしまい、検札に来た車掌さんの前で体中をまさぐるという醜態をさらします。特に着膨れる冬はポケットが多いので、いっそポケットでない場所にしようと思いついて、手袋の手首の部分に切符をしまったことがありましたが、改札で切符と一緒にを手袋を脱いでしまい、ジャンパーから上着からズボンからカッターシャツまで、あらゆるポケットをおろおろになって探したことがあります。

 切符の失敗は紛失だけではありません。私は成年後見の仕事で月に一度、特急『しなの』を使って中津川に出かけますが、もう一人、同じ名古屋から中津川に出かける仲間と共同で四枚単位の回数券を購入して二枚ずつに分け、随分割安に移動しています。ところが、そのときはぼんやりしていたのでしょうね、一枚を特急券と思いこんで、二枚の回数券を重ねて改札機に通してしまったのです。私が改札機なら、あれ?同時に二枚の乗車券が来たぞ、と不審に思ってゲートを閉じますが、改札機もぼんやりしていたのでしょう、ゲートは閉じる気配もありませんでした。何の疑問も抱かずに会議に出席をした私でしたが、ここが潜在意識の不思議なところですね、会議の途中で突然胸騒ぎに襲われたのです。ポケットに帰りの切符がありません。私は会議のメンバーに手短かに理由を言って一目散に駅に走りました。え?どういうことですか?と、なかなか理解ができなかった中年の駅員も、

「とにかく、改札機の中の切符の回収箱を調べて下さい。検札を受けない名古屋からの回数券があるはずですから」

 という私の剣幕に押されて、しぶしぶ面倒な作業にとりかかりました。

 もちろん券は見つかって事なきを得たのですが、券を返すときの駅員の一言が気に障りました。

「はい、それじゃこれは一応お返ししますけど、厳密に言えば、これがあなたの回数券だという証拠はありませんからね」

「何?」

 私はむっとしました。

「人間は誰だって間違いをするもんだ。昔のように人間が改札をしていれば、回数券をうっかり二枚出す客がいたらその場で教えてくれるだろうが。それを勝手にこんな機械にしちまって・・。二枚入れた俺も間抜けだけど、そうですかって受け取ってしまうこいつも悪いんじゃないか?あなたの切符だという証拠だと?こうやって恥を忍んで自分の間違いを打ち明けて、その通り改札機の中に言った通りの切符があったんだ。これ以上の証拠があるか?それともだぞ、全然関係ねえやつが、改札機の中に未使用の切符がありませんか、なんて来るか?来る訳ねえだろう。こっちは客なんだぞ、少しは考えてものを言え!」

 私は心の中でそう言いながら、

「どうも、ご迷惑をおかけしました」

 深々と頭を下げたのでした。

 往復切符でも失敗があります。

 山形駅から山寺駅までの往復を買って、立石寺の奥の院に参拝したときのことです。喘息の私は思いの外奥の院に続く石の階段に手間取ってしまい、山寺駅に着いたときは、これに乗らなければ既に購入してある山形新幹線の指定席が無駄になるぎりぎりの時刻でした。慌てて券売機で切符を買って、改札機を通り、飛び乗った列車の中で切符をしまおうとすると、ポケットにもう一枚切符があります。行きに買った往復切符の帰りの分でした。わずか二百円あまりの金額でしたが、取り返しのつく失敗をそのままにしておくことには抵抗があって、山形駅の改札で訳を話して切符を見せると、

「ああ、うっかりされたのですね」

 にっこり笑って気持ちよく換金してくれました。こんなことでその土地に対する旅人の印象は決まるものですね。私にとって山形は気分のいい場所になりました。

 ところが似たような失敗を多治見でしたのです。中津川と同じく成年後見の仕事で月に一度、多治見にも出かけていますが、帰りは大曽根で降りるのに、うっかり職場のある鶴舞駅から往復乗車券を買ってしまったことに中央線の電車の中で気がつきました。これもわずか百円の損ですが、取り返しのつく失敗をそのままにしておくことはできません。多治見の改札口で駅員に訳を言いました。すると、二人の若い駅員が顔を見合わせて、一瞬、表情だけの会話を交わしたあとで、こう言ったのです。

「払い戻しはできますけど、手数料が二百三十円かかってしまいますが、よろしかったでしょうか?」

「いいわけないだろうが、どこの世界に二百三十円も手数料払って百円払い戻しするバカがいる?同じ言うなら、よろしかったでしょうか?なんて訳のわからない日本語じゃなくて、お気の毒ですが、規定で手数料が二百三十円必要ですので、このままお使いになった方がお得かと存じます、ぐらいの表現ができねえのか。それによ、人間は間違いをする生き物だ。車両の整備不良で列車が遅れたからって、俺たちゃ、いちいち料金を払い戻せの、待たせた分の手数料をよこせだのっていわないだろうが。ここでお前が俺に百円払い戻すのに、いったいどんな手数がかかるって言うんだ?第一、一日中客の世話するのがお前たちの仕事だろうが。手数といえば、全ての手数をひっくるめて給料で、その給料は俺たち客が料金として負担しているんじゃねえのか?あれも手数料、これも手数料って言うんなら、お前、次のどこそこ行きは何番線ですか?て聞かれたら手数料、落とし物なかったですか?て聞かれたら手数料ってことになるだろうよ。切符だって間違えて遠くまで買って、近くて降りたって、改札機は知らん顔だ。パタッてゲートを閉じて、料金が多すぎます、払い戻しを受けて下さい、なんて一度も言わねえぞ。そのくせ料金が足りないときゃ、たとえ十円でもピンポンって派手な音立ててゲートが閉じちまう。そのうち百姓一揆じゃないけど、乗客一揆なんてのが起きても知らねえからな!」

 私はそう心の中で言いながら、

「そうですか、いえ、このままで結構です」

 すごすごと改札を通ったのでした。

 それにしても山形で取られなかった手数料が多治見で必要なのはなぜでしょう。頭に小さな小骨が刺さったような出来事でした。