鎧武者の素顔

平成22年08月24日(火)

 つい最近、目が覚めるような嬉しい出来事がありました。

 職場にHさんという同僚がいます。背の高い男性です。既婚者で、それはもう大変な子煩悩です。慢性の鼻炎に苦しんでいて、時に鼻から脳髄が流れ出るのではないかとはらはらするほど激しく鼻をかみます。性格は極めて穏やかで、学生にタメ口で話しかけられても丁寧な言葉遣いを崩しません。職場の飲会には適度につき合って、マイクが回って来れば、若者の歌を上手に歌います。冗談には笑ってコメントを返しますが、負けじと冗談で応酬することはありません。貧困問題に強い関心を持っていて、ホームレスの生活保護の申請を支援するボランティア活動に地道に参加しています。季節になると職場にスイカとメロンを大量に運び込んで職員全員にご馳走してくれます。他人の陰口を言うのを聞いたことがありませんし、本人の悪い噂も聞きません。

 これがHさんについて私の知っていることの全てです。何を悲しみ、どんなことに怒り、心にどんな屈折を抱えているのかといったことは分かりません。要するに対人距離が遠いのです。それが彼の印象を節度ある紳士にしていると同時に、いま一つ、人間としての体臭に欠ける寂しさにつながっているように思っていました。ところが、お盆休みが明けて、久しぶりに出勤したHさんは、鼻の下と顎に黒いものを蓄えていたのです。

「どうしたんですか、その髭」

 と尋ねると、

「ちょっと事情がありまして、しばらくの間だけ」

「しばらくってことは、願かけですか?」

「いえ、実は…」

 甲冑を着て武将になるのだと言うのです。

 聞けば、友人の趣味に引きずり込まれ、今では自分自身がすっかり夢中になって、二十万ほどかけて特注の甲冑をこしらえた彼は、

「名古屋の、ど祭り゛に出場するまでは髭を剃れないのです」

 と、子供のように笑いました。

 まさか重い甲冑を身につけてよさこいソーランを踊るのかと思いきや、警護のように踊りの周囲に立つのだと知って、ようやく状況が理解できましたが、私の中でHさんという紳士が、にわかに人間として臭い立った瞬間でした。

 腰の刀を含めれば結構な金額を武者備えにかけて、頼まれてはあちらの城こちらのイベントでぶらぶらする趣味が存在することにも驚きましたが、彼がそんな密かな楽しみを持っていることにはもっと驚きました。細君の理解があって成立する趣味だと思うと、夫婦の関係まで好ましく感じられます。母親に手を引かれて父親の武者姿を眺める子供たちの心には、どんな父親像が刻まれるのでしょう。

「ほら、お父さんよ」

 と指を差された凛々しい鎧武者は、子供たちに向かってにっこりと手を振って見せるのでしょうか。

 本人が書いた高邁な文章をいくつ読んでも立ち現れない彼自身の素顔は、こういう形で露になるのですね。

 酔えば頭にネクタイを巻き、前後不覚に陥った翌朝は、しきりにそのことを反省する人、一人ローカル線に乗って、誰も行かない「亀嵩」などという松本清張の小説の舞台を訪ねる人、一本七万円の万年筆を愛用する一方で、福祉施設のバザーで手に入れた百円の服を着て自慢げな人…。不合理で一見愚かしいような行為に夢中になる部分が垣間見えてこそ、その人の人間としての質感が伝わるのです。

 Hさんが愛すべき人物のリストに加わりました。そして甲冑姿の長身の武者が、懐からティッシュを取り出して激しく鼻をかむシーンを思い浮かべては、妙にほほえましい気分になるのです。